年収が上がれば幸福度も高くなるのか。「きぬた歯科」院長のきぬた泰和さんは「私は年収300万円から社会人がスタートしたが、年収600万円のころが最も幸せだった。いまはその何十倍も稼いでいるのに何も感じなくなってしまった」という――。

※本稿は、マイナビ健康経営のYouTubeチャンネル「Bring.」の動画「能力でなく熱量で生きよ! 年商18億円歯科医が追い求め続ける、『成功』と『幸せ』の答え」の内容を抜粋、再編集したものです。

きぬた泰和さん
写真=石塚雅人

「お金持ちになる」ことが目標だった

【澤円】きぬた先生は開業されたのち、看板広告で広く知られるようになる以前は、決して順風満帆というわけではなく、むしろ苦労の連続だったそうですね。

【きぬた泰和】苦労というのは人によって捉え方がまったく変わると思いますが、わたしは小さい頃から、比較的我慢が多い生活を送っていました。そのため社会に出たとき、単純に「お金持ちになりたい!」と強く望んでいたのです。ただお金持ちになるという、わかりやすい「成功」を目指していたわけですね。

しかし、その「お金持ちになる」という目標が、自分にとってかなりハードルが高いものだった……。そのため、自分が描く理想とのギャップがあり、20代半ばから30代前半にかけては、苦しかった記憶しかないほどです。

年収300万円、5万7000円のアパート暮らし

【澤円】きぬた先生は現在58歳ですから、その頃はバブルが崩壊して景気が低迷し、金融危機もあった時期ですよね。当時はどのような生活を送り、働いていたのですか?

【きぬた泰和】東京の江戸川区にある商店街の歯科医院に、勤務医として勤めました。それでも初任給25万円の年収300万円でしたから、社会人のスタートとしては悪くなかったと思います。ただ、のちの開業資金のために毎月3万円を貯金していたので、生活は苦しかったですね。各種手当もなく、家賃5万7000円のアパートに住み、公共料金を支払い、生活費を捻出しなければなりません。もちろん、税金や健康保険料も徴収されます。

そうなると、外食なんてしていられません。かといって、自炊する時間も気力もないほど毎日遅くまで働いていましたから、安価なのり弁を持ち帰ることが定番でした。くたくたになって帰宅すると、部屋にはゴキブリが大量に出るし、頭がどうにかなりそうな日々でした(苦笑)。