カフェほど「気づき」が多く生まれる場所はない

ここで気づきと環境についてお話ししてみましょう。

気づきの回数を増やすには、思考する時間を増やすことが不可欠です。

思考する場所として私がおすすめしたいのは、街中にあるカフェです。私は1日に平均2回程度はカフェに入る生活を続けており、学生時代からの習慣となっています。

カフェでは毎回1時間程度を過ごすのですが、その1時間の生産性の高さには目を見張るものがあります。

「落ち着いて思考するなら、図書館などが向いているのでは?」と思われるかもしれませんが、私にとって、図書館は思考に不向きな空間です。

図書館は世間から隔絶していて、なんとなく地に足が着かなくなる感覚があります。また、静かすぎて時間感覚が失われてしまいます。

東京大学の総合図書館などは、立派な建築で、貴重な資料も多数所蔵しているのですが、一歩入ると、異世界に入り込んだような気分になります。100年以上前から時間も空気も止まっているみたいで、しばらくいると、とてつもない睡魔に襲われるのです。

その点、カフェなら眠くなる心配はありません。いろいろな人が思い思いの時間を過ごしており、資本主義社会のただ中にいるというか、この世を生きているという実感が得られる空間なのです。

カフェでコーヒーのカップを持つ手
写真=iStock.com/Farknot_Architect
※写真はイメージです

自分が「考える葦である」ことを生々しく実感する

私が主に利用するのは、よくあるカフェチェーンのお店です。コーヒーは1杯300円程度で、テーブルも座席も狭く、体を押し込むようにして席に着きます。そんな限られた空間で利用客のさざめきを聞いていると、不思議と思考に集中できます。

あるときはローマ皇帝マルクス・アウレリウスの『自省録』を読みながら、名言を選ぶ作業に没頭しました。この作業は『図解 自省録 人生を考え続ける力』(ウェッジ)という本に結実しました。『自省録』にある約500の名言・箴言から80編をピックアップし、解説を加えるという企画です。

こういう作業は、カフェのほうが圧倒的にはかどります。『自省録』の哲学思想を現代に結びつけるという感覚が得やすいからだと思います。

フランスの哲学者パスカルは「人間は考える葦である」という名言を残しました。葦は水辺に育つ、か弱い植物です。「人間は考える葦である」には、「人間は自然の中で葦のように弱い存在である。しかし、頭を使って考える素晴らしい力を持っている」という意味が込められています。

カフェという限定された時間と空間の中で思考していると、自分が考える葦であることを生々しく実感します。考えて気づきを生み出す行為こそが人生の醍醐味であり、カフェの中でそれを再認識することは、この上なく有意義な時間なのです。