昼も夜も稼げる「郊外」は宝の山だった

「日高屋」は、マイカー社会が到来して、どこの外食チェーンも郊外の道路沿いの家賃の安いところに店を出していた時期に、あえて東京・JR山手線の駅前など、1日の乗降客が5万人以上のような地価の高い場所に出店をし始めた。時代に逆行しているので、金融機関に融資を断られたこともありました。でも、これがうまく当たったんです。

ハイデイ日高代表取締役会長 神田 正
神田 正(かんだ・ただし)
ハイデイ日高代表取締役会長。1941年生まれ。73年に大宮市(現:さいたま市)内にラーメン店「来々軒」を開店。78年に日高商事(現:ハイデイ日高)を設立、代表取締役社長に就任。2009年から現職。

一転して苦境に陥ったのは、新型コロナの拡大で一斉休業や営業時間の短縮、アルコール飲料の提供中止などの要請が続いた2020年のことです。テレワークが当たり前になって、どこの駅前からも人がいなくなった。422億円あった売り上げも22年2月期には264億円と大きく落ち込んだ。毎日1000万円近くの赤字に頭を抱え、ひどいときには3億円以上の赤字の月もありました。