※本稿は、関口裕昭『読み書きが苦手な子を見守るあなたへ 発達性読み書き障害のぼくが父になるまで』(ポプラ社)の一部を再編集したものです。
高校はじめての授業で先生に叱られた
高校生活の授業初日、人生を一変させる事件が起きます。
その日のいちばん最初の授業は国語。現代文。
いちばん前の席だった僕は、たまたま最初に音読を指名されます。初見の文章。緊張する僕に、クラスメイトの視線が集まります。
そこで僕は何度も止まり、読み間違え、止まってはまた間違え、ボロボロの音読をしたのです。
「この学校に来て、その音読はなんですか?」
先生からそう叱責されました。
この学校……というのは、僕が進学したのが地元の進学校だったからです。
僕は、生徒会や野球部副部長、クラス委員をしていたため内申点がよく、また、努力に努力を積み重ねた結果、定期テストの点数はそれなりに取れていたため、公立の進学校に入学できてしまったのです。
3教科の試験を受ける私立であれば、同じレベルの高校に入れなかったでしょう。
中学までの勉強法では太刀打ちできず
とはいえ、その学校は自分が望んで入った高校だったので、最初の授業を受けるまでは、入学できたことを嬉しく思っていました。
家からも近い、伝統のある公立校で、何より自分が入りたいと思っていた男子校。
そこで、「音読すらできない」とみんなの前で叱られたことで、僕は「勉強ができない」というレッテルを貼られたと思い込み、一気に自信をなくしてしまいました。先生やクラスメイトからそれについて何か言われたわけではなく、自らそう思い込み、自分で殻に閉じこもってしまったのです。
音読ができないのは恥ずかしいことだと僕自身が思っていたから。
できないのは努力不足だと自分に言い聞かせて勉強しましたが、それにも限界がありました。高校では、中学までの勉強法は通用しません。
これまで基本的に丸暗記をしていた教科書も、情報量が多く、到底暗記はできません。
漢字やスペルにひらがなでふっていたルビも、多くてそれだけで勉強時間が終わってしまいます。最初はマルがあって、ここがとがってて……となんとなく形で覚えていた英語は、単語数が増え、似た形が出てきたため判別できなくなりました。「different」と「difficult」では山の形がどう違うかで判別していたのですが……わからなくなるのも当然ですよね。