高校での配慮のゴールは「卒業」

本来、合理的配慮は「個人に合った支援を受け、学びを深める」ために行われます。しかし、このとき僕が受けていた配慮の目的は「卒業」でした。学べる環境を整えるための配慮ではなく、僕が卒業するにはどうしたらよいかを考えての決定だったのです。

赤点を回避するための課題という配慮。授業に出席し、赤点を回避すれば卒業ができる。そう考えた上での2つの配慮でした。

僕は配慮により、学校に通うことができ、無事に卒業することができました。気にかけてくれる先生が学校にいることに安心感があり、勉強への意欲を保つことができたので、配慮を実施してくれた学校には感謝をしています。

卒業証書と桜
写真=iStock.com/years
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ですが、もし当時の自分にアドバイスができるなら、テストでの配慮もしてほしかったと伝えるでしょう。たとえば選択方式のテストにしてもらい、記述回答はなしにしたり、問題文にふりがなをふったり、読み上げてもらったり。配布物やプリントにもふりがながあればよかったなど、「こうすればもっと多くのことが学べたのに」と思うことはいろいろあります。

先生にとっても親にとっても負担が重い

こうした配慮は、僕が高校生だった頃よりも一般的に広まってきているのではないかと思います。また、高校以前に小中学校でも、合理的配慮の例は増えてきています。

しかしそれでもまだ、適切な配慮を受けるには情報が足りていないと感じています。まだまだ変化の途上であり、地域差も大きく、配慮の実例はあっても、その情報が広く知られてはいません。忙しい先生方が通常の学級運営と個別の配慮をどのようにして両立すればいいのかのガイドラインもありません。

現在、その子にあった配慮を受けるには、保護者が学校や教育委員会へ説明しなければなりません。療育センターに通う保護者の方々を見ていても、家事や育児、仕事に追われながらさまざまな手続きをするのは、体力的にも精神的にも負担が大きいものだと感じています。