孤独から一変、高校生活を謳歌できるように
今思うと少しふっきれすぎちゃったかな、と思うほどに。
ストレートパーマをかけ、眼鏡をコンタクトに変え、全部きっちり留めていたボタンを第2ボタンまではずしたら、見た目につられて性格まで明るくなり、トイレでごはんを食べていた孤独な僕は一変して、友だちと学校をサボってカラオケに行くほど高校生活を謳歌するようになりました。この変化には先生も友だちも驚いたようです。
ただ、病院に行ってから診断を受けるまでは半年以上かかりました。
最初は学習障害を疑っての受診ではなく、とにかく気持ちが疲れていて不安だったので、それを診てもらうべく精神科のある大きな病院へ行きました。
ところが、何度か通っても検査まではたどりつかず、「文字が苦手な理由」はわかりませんでした。この期間は、病院に通っても改善が見られず、やるせない気持ちを抱えていました。
ようやく検査を受け、診断書が手元にやってきたのは高校2年生になる頃でした。
無事に(?)、発達性読み書き障害であると証明されたことで、学校に対して配慮を求めることもできるようになりました。
授業・テストで受けた「2つの配慮」
僕の通っていた高校は進学校だったこともあり、「この学校に配慮が必要な生徒がいる」という認識をお持ちの先生はいなかったのではないかと思います。そのため、まずは学校側に診断を受けたことの報告と合わせて、授業中にしてほしい配慮について相談をしました。
母と一緒に、どういったことで困っているかを伝え、この高校を卒業するためにはどうすればいのか、具体的な支援内についてすり合わせていきました。
母が学校のPTA役員をしており、学校側との折衝の経験があったことも幸いでした。
それでも話し合いは何度も重ねた記憶があります。具体的な支援についてすり合わせたあと、教頭先生から各教科の先生に伝達をしてもらいました。
結果として、僕が高校で受けた配慮は主に次の2つです。
・音読ではなく問題形式で指名する
授業中に指名するときに「音読」では当てず、一問一答にしてもらいました。一問一答形式だと「わかりません」と答えることができます。音読は「わかりません」と答える選択ができないので、逃げ場がないのです。僕にとっては音読がなによりストレスだったので、この配慮により安心して授業が受けられるようになりました。
・テストではなく、課題で赤点を回避
英語のテストでは、課題により赤点を免除してもらいました。課題は量が多く大変でしたし、当時の僕にとって最適な配慮であったかはわかりませんが……。