バラエティ×最新音楽

3人のパフォーマンスでは、いまで言うエアバンドの要素が盛り込まれていた。実際に楽器を弾かず、曲に合わせて弾いているような振りをする。

イントロのメロディに合わせて、山口良一と西山浩司が向かい合わせになってそれぞれキーボードとドラムを演奏しているまねをする。その途中に打楽器の音が入る。すると山口は西山の頰をビンタする振りをする。それに合わせた西山のビンタされたリアクションも絶妙だったのだが、これはレコーディングの際、山口と西山が手持無沙汰なのにまかせて遊びでやっていたのがそのまま採用されたものだった(『昭和40年男』35頁)。

こうして、お茶の間向けバラエティと最先端のテクノサウンドを融合させた、それまでのテレビから流れる歌謡曲とは一線を画す曲とパフォーマンスが生まれた。

番組人気との相乗効果もあり、曲は大ヒット。オリコン週間シングルチャート7週連続1位、累計売上160万枚を記録。音楽ランキング番組『ザ・ベストテン』では8週連続1位に。いずれも驚異的記録である。イモ欽トリオの3人は瞬く間にトップアイドルに躍り出た。

なぜソロではなく3人組だったのか

ここに萩本欽一は、どうかかわったのだろうか。むろん、出演時の3人のキャラクターがベースなので、番組の企画者である萩本の承諾なしに歌手デビューは実現しない。

最初レコード会社からのオファーは、長江健次のソロデビューという話だった。当時長江は17歳になったばかり。コントの際、セットの居間から出ていくときに発する「な!」というセリフがウケていた(「ハイスクールララバイ」もセリフ入りで、この「な!」が使われている)。

見た目も童顔で可愛らしく、一番アイドル的な人気があった。だが萩本は首を縦に振らなかった。「一人はまずい。やるなら三人だね」と返答した(同誌、32~33頁)。

ここにも“番組優先主義”の考えかたが表れている。個人の人気という点では長江が突出していたかもしれないが、ソロデビューになってしまえば3人のバランスが崩れる。それはひいては、コント、そして番組全体のバランスの崩壊につながる。

そうした折、別のレコード会社から新たにオファーがあった。フォーライフレコードからである。今度は「三人で」という話だった。それでも最初は断っていたのだが、あまりに熱心だったので根負けした(同誌、33頁)。