古写真に見る城の荒み具合

このとき全国の城は、すべてが府県から移管されて兵部省陸軍部の所管となり、明治5年(1872)に兵部省が陸軍省と海軍省に分離されると、陸軍省の所管になった。しかし、全国に城は、事実上の城であった陣屋や要害を加えると300以上もあった。それだけの城を兵部省(陸軍省)が管理しきれるはずがない。

明治初年に撮影された古写真が残されている城も多いが、たいていは天守や櫓、門や塀などの漆喰がはがれ、時に瓦が落ちそうになっていたり、屋根が破損していたりする。版籍奉還により、各藩から城を修復する資金が失われたのに続き、兵部省(陸軍省)の管轄となって、ほぼすべての城が放置された結果、どの城もあっという間に荒んでしまったからだ。

昭和14年に発行された観光本に出てくる備中松山城。壁が一部崩落し、屋根に植物が絡っている。現在は整備され、天空の城として人気を博す。
昭和14年に発行された観光本に出てくる備中松山城。壁が一部崩落し、屋根に植物が絡っている。現在は整備され、天空の城として人気を博す。(『観光の岡山』 国立国会図書館デジタルコレクションより)

このように全国の城を管理しきれない陸軍省は、結局、軍隊の基地として利用可能な城と、不要な城とに分けることにした。徴兵制にもとづく常備軍の基地として使用できそうな城は今後も使い、使えそうにない城は処分しようと考えたのである。