こうして国宝松江城は残った
保存に向けての契機は、明治23年(1890)、陸軍省にとって不要となった全国19の城址が、旧藩主や自治体に払い下げられたことだった。4500円で松江城の払い下げを受けた旧藩主の松平家は、城山事務所を開設して城址を千鳥遊園として開放することを決め、園丁とともに天守の看取を置いた。
県知事も松江城天守閣旧観維持会を組織し、募金などをはじめ、荒廃した天守の修理に向けた準備が進められることになった。そんな折、明治25年(1892)夏の集中豪雨で、損壊が進んでいた天守はさらに甚大なダメージを被り、翌明治26年6月から11月にかけて大修理が実施された。
廃藩置県から約20年を経て、松江城天守はようやく保存に向けて歩みはじめたのだが、気になるのは、保存への経緯が確認できる史料がほとんど新聞で、官側の記録が乏しいことである。要するに、「お上」は相変わらず、城をどうでもいい対象と見做し、記録をとっていなかったものと思われる。
同じ理由で、全国の多くの城郭に関し、どのような経緯で建物の払い下げが決められ、実行されたのか、確認するのは困難だ。記憶にとどめておくべき「廃藩置県」の負の側面である。