彰子が敦康親王にこだわった理由
敦康親王の誕生日は長保元年(999)11月7日だが、1年余りのちの長保2年(1000)12月16日、母の定子が亡くなった。そこで、翌長保3年(1001)8月には、彰子が敦康を養母として育てることになった。
同じ殿舎で暮らすようになるのは、長保5年(1003)8月からだが、それでも元服するまで丸7年間、一つ屋根の下で「親子」として暮らしてきたことになる。情が移るのも当然だろう。また、彼女が一条天皇と思いをひとつにするとは、敦康が東宮になるのを願うことだった。
ここから先は無料会員限定です。
無料会員登録で今すぐ全文が読めます。
プレジデントオンライン無料会員の4つの特典
- 30秒で世の中の話題と動きがチェックできる限定メルマガ配信
- 約5万本の無料会員記事が閲覧可能
- 記事を印刷して資料やアーカイブとして利用可能
- 記事をブックマーク可能
