日本社会を信頼できたのは友人たちのおかげ
こういう差別の経験はたしかにあるが、日本で30年間生きてきて、この程度といえばこの程度である。個人的な経験を数えたら4~5回くらいだ。オランダに1年間留学しているとき、アジア人の見た目をしているだけで5回くらい差別的な言動をされた。それよりは頻度としてはずっと少ない。日本での差別で傷ついた経験があるのもたしかだが、両親や祖父母の世代と比べたら状況は改善していると思う。
僕は、日本での差別体験を強調する意図は全くない。優しくて親切な日本の友達に多く恵まれてきたし、差別から守ってくれた友人もいる。このような体験談に耳を傾けてくれる人はいつもそばにいた。嫌な体験をしても、日本社会への信頼を失わなかったのは、大切な友人たちのおかげだ。僕は運がいい。周りの人には心から感謝している。
韓国の状況はどうか。K-POPやドラマが世界的な人気を博している。韓国を訪れる外国人は増えた。在日コリアンへの理解が進んだかは別として、韓国に来る外国人自体が増えたので、移住者、移民者への理解は以前よりは進んだだろう。
だから、在日コリアンの間で伝わってきた「日本でも韓国でも差別される」という言説は、現在ではそのまま通じないと思う。
いまだに「よそ者」扱いされている感覚がある
でも、こういう「言い伝え」というのは、伝えられるだけの理由がある。何かしらの真理を含んでいるからこそ、人から人へ、世代を通じて伝わるのだ。
この「言い伝え」を僕なりにアップデートしてみると、「日本でも韓国でもマイクロアグレッションを受けることがある」となる。在日コリアンという存在をよく理解しない人からの素朴な言葉に傷つくことは、日韓を問わず、今でもある。
日本で「日本語がうまいですね」と言われるとき。あるいは韓国で「あなたの韓国語は流暢じゃないから」と英語で話されるとき。僕の心はやっぱり傷ついてしまう。
同じ社会に住んでいる人として対等に扱われない感覚。いつまでも「よそ者」として仲間に入れてもらえない感覚。そうした感覚を抱かせてしまう言葉こそ、マイクロアグレッションだ。