裁判闘争や市民運動で勝ち取った“変化”

ただ、現在の状況は、日韓ともにかなり変わっている。日本では、在日コリアンが国家公務員や地方公務員の管理職になれない状況、選挙権がない状態は続いているが、両親の世代と比べると、制度的な差別はある程度改善されてきたのも事実である。

僕の母(1961年生まれ)は韓国籍であることが理由で、日本の企業には就職できなかったし、「外国人登録」のために指紋を押さなければならなかった世代だ。

1970年代から1990年代にかけて、在日コリアンによる裁判闘争、日本人と協力した市民運動がさかんに行われた。運動の成果によって、就職差別はかなり改善され、指紋押捺の義務もなくなった。

在日コリアン三世である僕は就職活動の時に差別を感じたことはほとんどなかったし、大手の新聞社に勤めることもできた。1992年生まれの僕は「外国人登録」のために指紋を押した経験もない。

「日本語がうまいですね」というようなマイクロアグレッションはたびたびあるが、日本で露骨に差別された経験はほとんどない。ただ、数が少ないからこそ、強烈に覚えているのもまた事実である。

「韓国人」「朝鮮人」「出ていけ」…

小学校1年生の頃、近所に住む同い年の男の子と遊んでいた時、急に「お前は韓国人だから」と仲間に入れてもらえなかったことがある。それまでは普通に遊んでいて、自分は友達だと思っていたのに。驚いて言葉が出なかった。悔しかった。

壁の上に座って遠くを眺める少年
写真=iStock.com/Muralinath
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大学生の頃、道端で通りがかったおじさんに、「おい、朝鮮人だろ、お前」と急に言われた。差別用語を繰り返し言われた。500メートルくらい付きまとわれた。怖くて何も言えなかった。恐怖で体が硬直した。

2年前、近所の居酒屋で、横のテーブルに座っていたおじさんが店主との会話で「あの辺の地域、朝鮮人多いやろ。俺、朝鮮人嫌いやねん」と話していた。抗議したが、無視された。店主が迷惑そうにこちらを見ていたので、足早に店を出た。

2015年ごろ、ヘイトスピーチの現場に行ったこともある。聞くに堪えない言葉がまき散らされていて、心底参った。十円禿げが頭にできた。「『出て行け』と言われているし、日本にはもう住めないのではないか」と、その時は本気で思った。