「女性宮家」創設が注目されているが、盲点はないか。神道に詳しい島田裕巳さんは「国会の議論は女性宮家設立にむかっているが、そうなれば、伊勢神宮の祭主が消滅する可能性がある」という――。
「即位礼正殿の儀」に向かわれる十二単姿の眞子さま
写真提供=共同通信社
天皇陛下が即位を宣言する「即位礼正殿の儀」に向かわれる十二単姿の眞子さま=2019年10月22日、皇居・宮殿

眞子元内親王の皇籍離脱の痛手

秋篠宮の眞子内親王(当時)が皇籍を離脱し、アメリカに去ってしまったことは、日本の神道の世界にとって大きな痛手だったのではないだろうか。

私は、伊勢神宮における式年遷宮しきねんせんぐうの作業が来年はじまろうとしている今、そのように考えるようになった。私のように考えている人は、おそらくほかにはいないだろう。

それはなぜか。ここでは、その理由について述べていきたい。

伊勢神宮には「祭主」という役職が存在する。これは、伊勢神宮にだけある特別な神職をさす。古代には「神祇官じんぎかん」と呼ばれる役所が設けられており、朝廷の祭祀を司っていた。祭主は、神祇官に属し、伊勢神宮の長官の役割を果たしていた。

当初の段階では、祭祀を司る家である中臣なかとみ氏が代々の祭主をつとめていた。摂政関白を独占し、政治を担っていくことになる藤原氏は、もともと中臣氏であったため、やがて藤原氏がそれをつとめるようになった。藤原氏の祖、鎌足は中臣鎌足と称していた。

伊勢神宮に続く「斎王」の伝統

その伝統は、江戸時代が終わるまで続くが、明治に時代がかわると、当初は公家、やがては皇族がその役割を担うようになる。

ところが、戦後になると、伊勢神宮が国家の手を離れ、民間の宗教法人「神宮」となったこともあり、もともと皇族であった女性が、その任にあたるようになった。1988年からは、昭和天皇の第4皇女であった池田厚子氏が祭主となった。池田氏は、皇籍を離脱する前には厚子内親王と称していた。

池田氏は、前回の式年遷宮、2013年の第62回を斎行している。ただ、その時点ですでに82歳になっており、彼女にとっては姪にあたる黒田清子氏が、12年にはその補佐役ということで臨時祭主に就任した。17年には退任し、黒田氏が正式な祭主に就任している。

戦後、皇族であった女性が祭主に就任するようになったのは、伊勢神宮には「斎王」の伝統があったからである。

おそらく、多くの方たちは認識していないだろうが、代々の天皇は明治になるまで伊勢神宮に参拝することはなかった。第1回の式年遷宮は持統天皇の時代に行われたとされ、その直後に、天皇は伊勢に行幸している。だが、その際に天皇が伊勢神宮に立ち寄った形跡はまったくない。それ以降、明治に時代が代わり、即位したばかりの明治天皇が伊勢神宮に参拝するまで、誰一人として天皇は伊勢神宮に参拝していないのだ。