かなわなかった最後の願い

結局、道長は翌26日、一条天皇に知らせないまま譲位を発議してしまう。27日、一条は側近の行成を呼び出し、自分は譲位してもいいからせめて敦康親王を東宮にしたいと訴えたが、行成は、皇位を継承するためには外戚の力が必要で、それには敦成親王がふさわしいと伝えている。

敦康の幼少時から8年間、手元に置いて育ててきた彰子も、『栄花物語』によれば、父の道長に敦康を東宮にできないかと何度か打診したが、受け入れられなかったという。

万策尽きた一条天皇は6月14日、道長に出家の意志を告げ、19日に出家した。しかし、その間も体調は悪化するばかりで、21日に身を起こして辞世の歌を詠んだ。

露の身の 風の宿りに 君を置きて 塵を出でぬる 事ぞ悲しき(露のように儚い私の身が、風の宿りにすぎないようなこの世に、あなたを残しておいて、塵がごとき世から出ていくのは悲しいことだ)

その後、意識を失って22日に没した。享年は数えで32歳。

じつは、辞世の歌の最後が「事ぞ悲しき」となっているのは行成の日記『権記』で、道長の日記『御堂関白記』には「ことをこそ思へ」と書かれている。命が尽きようという一条が虫の息で詠んだため、聞き取りにくかったのかもしれない。また、詠まれている「君」を行成は定子、道長は彰子だと解釈している。

どちらが正しいか知りようもないが、もしかしたら一条天皇は、彰子を残す悲しさを覚えながらも、自分を散々翻弄した「塵」がごとき世から出て、定子のもとに行けることに、よろこびを感じていたのかもしれない。

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