一条がよろこんだという史料はない
一方、敦成の父である一条天皇はどうだったのか。もちろん、それなりにはよろこんだのだろう。
出産は当時の慣例に倣って、彰子の実家、すなわち道長の邸宅である土御門殿で行われ、その後、敦成は11月17日に、はじめて内裏に参入することになっていた。しかし、一条天皇はそれでは遅すぎるからと、10月17日、みずから土御門殿に行幸している。道長の日記『御堂関白記』によれば、そのとき一条は敦成を抱き、親王の宣旨(天皇の命令を下達すること)をくだした。
ところが、一条天皇が敦成親王の誕生をよろこんだという記述は、史料上には見つけられないのである。
ここから先は無料会員限定です。
無料会員登録で今すぐ全文が読めます。
プレジデントオンライン無料会員の4つの特典
- 30秒で世の中の話題と動きがチェックできる限定メルマガ配信
- 約5万本の無料会員記事が閲覧可能
- 記事を印刷して資料やアーカイブとして利用可能
- 記事をブックマーク可能
