「話し合い」は民主主義の土台

日本の職場や学校でもよく「話し合い」は行われるが、それぞれが自分の意見を述べても最後は多数決で強引に決めてしまうことが多い。

しかし、なぜ自分が「イエス」と言えないのか、何がどのように変われば合意できるのかを明確にして相手に伝えることが、民主主義の最初のステップだとヤーンセンさんは語る。お互いにそれを主張し合い、譲れるところ、譲れないところを探る。そうすることで、両者が納得できるところを探して合意する。それは、「0か100か」ではなく、0から100の間のどこかのポイントになるだろう。非常に面倒なプロセスだ。

そして一度合意したら、それを忠実に実行する。もし、それが実行できなくなったら、また話し合いに戻るよう、ヤーンセンさんは学生たちに伝えているという。

「あなたが楽しむ権利を持っているのと同様、他の人も楽しむ権利を持っている。では、何がベストなのか。それを話し合いながら探っていくことが、民主主義の土台なんです」

明治時代に日本でも紹介

フォルケホイスコーレの歴史は、19世紀半ばにさかのぼる。当時、ナポレオンの支配から解放されたヨーロッパでは、ナショナリズムの機運が高まり、デンマークでも農民や民衆が政党政治に参加するようになった。

そんな時、「大衆が政治に参加するためには、民主主義教育が必要」と考えた、思想家で牧師のN.F.S.グルントヴィが、「民主的な社会を支える人を育成する教育機関」として考案したといわれている。

日本でも、フォルケホイスコーレはすでに明治時代に紹介されていた。1911年に内村鑑三が「デンマルクの話」と題して講演をしたのが最初だといわれ、その後、いくつか“日本版ホイスコーレ”が設立された。代表的なのが、1915年に設立された山形県立自治講習所で、地方自治、農村経営、郷土史、国際地理などの学科が教えられていたという。

その後日本でのフォルケホイスコーレは衰退していくが、1996年にフォルケホイスコーレについて書かれた『生のための学校』(清水満著)などの出版によって、再び注目された。

最近では、デンマークでフォルケホイスコーレに留学し戻ってきた能條さんのように、若者の政治参加を促す団体を設立したり、フォルケホイスコーレ的な教育を通じて地域課題に取り組んだりする日本人もいて、「第3次フォルケホイスコーレブームだ」という人もいるほどだ。