丸紅専務 山添 茂氏

小さいときから海外に対する憧れが強く、英語には早くから興味を持っていて、中学、高校時代はNHKのテレビやラジオ講座をよく聴いていました。学校の成績もその英語と数学はほかの科目に比べてよかったものです。

ところが、大学入学後は卓球や麻雀など、仲間と遊ぶことに心を奪われてしまい、英語の勉強はすっかりなおざりになってしまいました。当然英語力は落ちる一方でした。

就職は運良く丸紅に入社できたものの、入社後のテストの結果で振り分けられた新入社員向けの英語研修は、下から2番目のクラス。しかも、配属先の仕事が忙しく、連日深夜までの残業のため、始業前に行われる英語研修は休みがちでしたから、英語力がつくはずもありません。

当時、一番困ったのは、深夜オフィスに私しかいないときにかかってくる海外からの電話です。相手が何を言っているのかまったく聴きとれず、思わず途中で受話器をそっと置いて、トイレに逃げ込んだこともありました。その当時は国際電話の回線状況が悪く、通話中に電話が突然切れてしまうことも珍しくなかったので、相手先もそのせいと思ってくれればと。今、振り返ると全く恥ずかしいですが。

このような英語力でしたが、入社2年目に、初の海外出張でフィリピンを訪れます。しかし、現地のスタッフも心配になったのでしょう。「その英語力で本当にビジネスができるのか」と何度も言われ、さすがにこのままではまずいと思いました。

一方で仕事は待ってくれません。当時、丸紅は海外メーカーとコンソーシアムを組んで、インドネシアで石炭火力発電所を建設することになっていました。発注先はすべてアメリカとカナダの企業で、見積もりを取ったり、その後締結する契約書、そのための細かいやり取りもすべて英語です。幸い、このコンソーシアムメンバーの中にいたコンサルティング会社のカナダ人スタッフが、私のサポートをしてくれたのです。25歳からほぼ5年間、彼と四六時中一緒に、やり取りしていたおかげで、英語に少しずつですが自信が持てるようになりました。

そして、次の赴任はフィリピンの駐在です。フィリピンではドライバーもメードさんも英語を話すので、英語は生活のための必需品です。ただし、フィリピン人のそれはスペイン語のアクセントが交ざっているので、最初は戸惑いました。英語で話しているうちに気付いたことがあります。相手をリスペクトする気持ちがあり、こちらが伝えたいことを真摯に話せば流暢な英語でなくても伝わるのだと。

また、お会いする相手が大臣のように偉くて忙しい人の場合は、話の趣旨をあらかじめA4の紙に個条書きにしておくのです。それを見せながら話し、最後にその紙を相手に渡すことで、お互いの理解が深まり、効率的に面談を行うことができました。

このように、主に仕事での実践を通してビジネス英語を身につけてきましたが、英語をきちんと学習することも必要だと感じていました。英語は語彙や言い回しを常に積み増し、毎日聴いたり話したりしていないと、力が落ちてしまいます。

また、かろうじてアジアでビジネスができる程度の英語力で、欧米のネーティブを相手に政治や文化を語れるかといえば、とても無理です。それができるようになるために、とにかく聴くこと、そして上手くなくても話すことを徹底的に鍛えなければならないと痛感していました。

5年間のフィリピン駐在を終え、日本に戻ってきてから現在にいたるまで、さまざまな教材を利用して、英語力の向上を図っています。例えば、「1000時間ヒアリングマラソン」(アルク)は、毎日とはいきませんが8年間続けました。現在は「スーパーエルマー」(東京SIM外語研究所)のCDをICレコーダーに取り込み、通勤時や入浴中に聴いています。英語の基本は聴くことだと思います。

忙しい人は隙間時間を探して耳から鍛えることを始めるのがいい。さらに余裕があれば、英字新聞にサッと目を通す。毎日継続しての聴き流しと乱読は、私の英語学習の柱です。

※すべて雑誌掲載当時

丸紅専務 山添 茂
1955年、新潟県生まれ。78年一橋大学経済学部卒業後、丸紅入社。09年常務。12年より現職。
(構成=山口雅之 撮影=芳地博之)
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