“正義”だけでは営業できない
一瞬の沈黙。気まずい空気を埋めるように、高山はズゴッと音を立てて、アイスコーヒーを一口飲む。目線をグラスに落としたまま、沈黙を破った。
「君は、営業にとって、最も大事なことは何だと思う?」
「コミュニケーション能力とか、課題分析能力とかでしょうか?」
「それもある。だか、俺が言いたいのはもっと“根本的なこと”だ」
「根本的……って何ですか?」
高山は急にサングラスを外し、まっすぐに僕の目を見て言った。
「“やさしさ”だよ。営業マンは、やさしくなければ務まらない」
「やさしさ、ですか?」
突然、真剣な様子の高山に一瞬戸惑う。
「そうだ、やさしさだ。取引先にはいろんな価値観を持った人がいるよな? 担当者の性格も、置かれた立場も、その日の機嫌もそれぞれ違うだろ」
高山はタバコの火をもみ消して、灰皿をテーブルの脇へ押しやった。こちらへきちんと向き直る。
「営業の基本は、そんな千差万別の人間のあり様を理解すること。そして、相手に合わせて適切なアプローチを選ぶことだ。自分のやり方や考え方だけが正義だと思い込んでいたらダメだ。打ち手を間違えてしまう」
「……まあ、それはそうですね」
唐突にまともなことを言われてしまった。うなずくしかない。
やさしくなければ、仕事じゃない
「そして、人間に対する根本的なやさしさがなければ、多様な人間のあり方に思いをはせることは難しい。やさしさのない雑なプロファイリングに基づくアプローチ。そんなものは、ウザイだけだ」
言いたいことはわかる。でも、「君はやさしさに欠ける人間だ」と遠回しに言われたようで、面白くない。
「お言葉ですが、僕だって人並みの洞察力は持っているつもりですよ。相手の性質や立場とか、状況を想像する力だって……」
「ふん。果たしてそうかな。君は、就業時間中に喫茶店で『刃牙』を読んでいた俺のことを『イカレた不良おやじ』だと、軽蔑したんじゃないのか?」
一瞬言葉に詰まる。そこまでではないが、褒められたものではないと思ってはいた。
「だが、それは違う。君が『刃牙』の凄さや深さを知らないだけだ。ちゃんと『刃牙』を読んでいて、仕事に有益な書物であることを知っていたならどうだ? 俺がいかに質の高いインプットをしていたか理解できたはずだ」
高山はまっすぐにこちらを見ている。ふざけたり、ウソをついたりしているわけではないようだ。もしかしたら、あながち間違いではないのだろうか? 仕事とは関係ない単なる遊びに、何か大切なことがあると言うのだろうか?