※本稿は、村山祐介『移民・難民たちの新世界地図』(新潮社)の一部を再編集したものです。
町外れの空き地に集められた“殺戮の痕跡”
私は数日おきにブチャに通っていたのだが、行くたびに町の変わりように驚かされた。2022年4月5日は大破した装甲車両で足の踏み場もなかった駅前通りは、9日には大型車両以外はきれいに片付けられ、14日にはもう車で通れるようになっていた。
「死の通り」と呼ばれたヤブロンスカ通りも、それと知らなければ素通りしてしまうほど素朴な通りに戻っていた。
路上から消えた殺戮の痕跡は、町外れの空き地に凝集されていた。さびた戦車やひしゃげた装甲車両、炎上して鉄板だけが残ったミニバンなど数十台が並んでいる。
ボンネットに「子ども」と赤く記されたミニバンや、小さな白旗を掲げた小型車もあるが、いずれもガラスが粉々に割れ、車体にも爆片による大小の穴が開いていた。
小型車の中をのぞくと、生臭さとねっとりとした油のにおいがした。絡まった長い毛髪とふさふさした動物の体毛が座席から天井までこびりつき、運転席には歯のついた歯茎の一部と、丸まった猫の死骸があった。ペットを連れて避難しているところを砲撃されたようだった。
駅前通りを9日に再び訪れると、2人の高齢の女性が立ち話をしていた。看護師のマリヤ・ザモジルニ(73)は、4月5日に報道陣のインタビューを受けた男性の母親だった。戦車の残骸のことを尋ねると、マリヤは大きく胸を張って敬礼するようなポーズをした。
「ロシア軍が来たのは2月27日のことです。彼らは『キーウを制圧するぞ』と意気揚々でしたが、ウクライナ軍の攻撃で車両を破壊されて逃げていきました」
男性の遺体は“1カ月野ざらし”になっていた
3月3日、ヤブロンスカ通りを別の部隊が進軍してきて再び戦闘が始まった。町は占拠され、ロシア兵は張り出し屋根のある家を選んで車両を隠し、住民を路上に追い出した。傍らの知人で元医師のハンナ・ボロディミリフナ(80)は、両手を後ろに組むしぐさをした。
「大勢の人たちが殺されました。目隠しをされた青年と、白い布で後ろ手に縛られた男性がロシア兵に連行されて行きました」
マリヤも話に割り込むように、右手の人さし指でヤブロンスカ通りを指して訴えた。「夫が4人の遺体を見つけました。とてもとても長い通りで、『死の通り』と呼ばれています」
ヤブロンスカ通りに面したハンナの家の前では、近くに住む男性の遺体が1カ月間、野ざらしになっていたという。その状況を聞いていると、近くのパン職人リンダ(48)が話に加わった。
「遺体はずっと置きっぱなしでした。ロシア兵が埋葬させてくれなかったんです。ロシア軍が基地にしたビルの裏にも7、8人の遺体がありました。ガラス工場の近くにいた青年たちです」
そしてリンダは「狙撃手が動く人を見境なく銃撃していました」と言った。通訳のアレクセイが「民間人も?」と確認すると、彼女と、傍らにいた夫で工場勤務のアレクサンドル(51)が同時に声を荒らげた。
「民間人だけです!」
アレクサンドルは感情が高ぶったリンダをなだめ、「私自身の体験を話します」と切り出した。
「民家に4、5人でいたところに自動小銃を持ったロシア兵が入ってきました。スマホを持って行かれて、30分後に『これはだれのだ』と聞かれたんです。『私のです』と答えた人がフェンスの前で射殺されました。『遺体はそのままにしておけ、埋葬したら殺す』とも言われました」
住民たちは路上に放置された遺体を搬送したいとロシア軍を説得し、3月下旬に3回に分けて建機で近くの林に運び込んだ。それが本書のプロローグで描いた雑木林だった。そしてリンダが触れたビル裏の遺体を映した動画を私はこの後、雑木林での葬儀で遺族から受け取ることになる。