昭和恐慌を機に全農家が加入

当初産業組合は、地主・上層農主体の信用組合にすぎず、1930年の段階でも、零細な貧農を中心に4割の農家は未加入だった。

しかし、農産物価格の暴落によって、娘を身売りする農家も出た昭和恐慌を乗り切るために、1932年農林省は、有名な「農山漁村経済更生運動」を展開する。産業組合は、全町村で、全農家を加入させ、かつ経済・信用事業全てを兼務する組織に拡充された。これを農林省は全面的にバックアップした。