※本稿は、河合敦『日本三大幕府を解剖する 鎌倉・室町・江戸幕府の特色と内幕』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
将軍が目覚めると、江戸城内が一斉に動き出す
将軍がどのような一日を送っていたのかを紹介したいと思う。とはいえ、時代によって将軍の一日は大きく異なる。今回は、江戸後期の日常生活を語っていこう。
将軍は一日の大半を奥(中奥)で過ごす。朝6時に御休息の間御上段で目覚めると、これを確認した小姓は「もう」と合図する。すると、一斉に人々が朝の支度にとりかかる。
一方、将軍は用を足しに行く。便所は大便所と小便所(それぞれ京間一間)が二枚立障子で隔てられている。冬は便所に火鉢を置き、夏は小姓が団扇であおいだり、蚊遣りをたいたりした。
将軍が便所から戻ると、水の入った茶碗が用意されている。口に含んでうがいを終えると、今度はたらいのお湯で顔を洗い歯を磨く。
朝10時ごろ、大奥で将軍を出迎える「総触」
朝食は午前8時頃である。粗食だが毎日鱚の塩焼きと漬焼がつく。ただ一月に三度は鯛や鮃の尾頭付きになる。食べたい料理を希望する将軍もいる。家斉などは尾張の鮨を好み、家慶はショウガを毎日食べたと伝えられている。
朝食の最中に御髪番が髪を整え、食後に医師の診察がある。その後は自由時間となり、何でも好きなことをしてかまわない。
午前10時頃になると、大奥へ向かう。大奥では御台所や側室、上級女中たちがずらりと並んで将軍を出迎える。これを総触という。それが終わると、将軍は中奥へ戻った。ただ場合によってはしばらく大奥にいることもあった。
昼食は正午である。前述のとおり料理を大奥で食べる将軍もいた。二の膳付きで、鯛や鰈、鰹などが出た。
午後1時から政務が始まる。御休息間で老中らから届いた案件を御用取次や側用人に順番に読み上げさせ、それを聞いて次々に決裁していく。可決された案件は「伺之通りたるべく候」という紙札をはさむ。意に沿わないものは、御用取次を通じて再考をうながした。