第二次中東戦争とイギリスの弱体化

10月29日、三国のエジプト攻撃は、イスラエル軍のシナイ半島侵攻によって始まった。これが第二次中東戦争である。アメリカ、ソ連をはじめ国際社会は英仏・イスラエルを非難し、11月2日に国連総会は即時停戦を求める総会決議を採択した。

第2次中東戦争、英仏軍の攻撃で炎上するエジプトの石油施設
第2次中東戦争、英仏軍の攻撃で炎上するエジプトの石油施設(画像=Imperial War Museums/UK Government artistic works/Wikimedia Commons

軍事的に追い詰められたエジプトは、廃船を沈めてスエズ運河を通航不能にするなど、抵抗を試み、またサウジアラビアも英仏と断交した。こうして、国際社会の圧力によって、11月7日、英仏・イスラエルは停戦を受け入れた。

国際世論の支持を受けたエジプトはスエズ運河の国有化に成功した。ナセルはアラブ世界で英雄視されるようになった。一方、この戦争の結果、イギリス経済は困窮し、国際的威信も低下した。

アラブ世界のリーダーとなったナセルは、アラブ民族の統合を掲げて、1958年2月にシリアと合同してアラブ連合共和国を樹立する。しかし、この連合は、1961年9月にシリアで起こった軍事クーデターによって解消された。

1964年5月にはパレスチナ解放を目指すPLO(パレスチナ解放機構)がアラブ人によって組織された。

第三次中東戦争…イスラエル軍に完敗したアラブ

1967年6月5日、ヨルダン川の水利権を巡ってシリアと紛争状態になったイスラエルは、アラブ諸国を攻撃した。イスラエル軍の奇襲攻撃は功を奏し、エジプト、シリア、ヨルダンを撃破し、ヨルダン川西岸、ガザ、シナイ半島、ゴラン高原を占領した。また、東エルサレム(旧市街)の支配権も確立し、全エルサレムをイスラエル領とした。

イスラエル軍に完敗したアラブ側は、6月8日にヨルダンとエジプトが、6月10日にシリアが停戦した。こうして、6月10日には戦争は終わった。これが第三次中東戦争であり、6日戦争と呼ばれる。

国際社会はイスラエルの占領を認めず、国連安保理決議242(1967年11月22日)は、イスラエルの占領地への返還を求めている。しかし、イスラエルは占領地に入植者を続々と送り込み、さらに多くのパレスチナ人が難民となった。

アラブ諸国が構成するアラブ連盟は、9月の首脳会議において、イスラエルに対して「和平せず、交渉せず、承認せず」ということを決議した。2023年10月にハマスがイスラエルを奇襲攻撃したのは、UAE(アラブ首長国連邦)、バーレーン、スーダン、モロッコなどが2020年にイスラエルと国交を正常化し、サウジアラビアまでがそれに続こうとしたからである。ちなみに、エジプトは1979年3月に、ヨルダンは1994年10月にイスラエルと平和条約を結んでいる。

第三次中東戦争でナセルの威信は失墜し、1970年9月28日に急死した。後任にはサダトが就任した。さらに、この戦争の結果、スエズ運河も1975年まで閉鎖され、世界経済に大きな影響を与えた。