老後に細かすぎる人生プランは不要

勤勉で真面目な人が多い日本人は、何をするのも一生懸命。やり始めたら目的に向かって、わき目もふらず努力する人が多いものです。それはいわゆる老後を迎えても変わりません。

しかし、60代後半~70代ともなると、体力も気力もだんだん下降気味になり、そこであまり張り切りすぎるとスタミナ切れになって、途中で投げ出すようなことになりかねません。

節約にしても、シンプルな暮らしぶりについても、息の長いスタンスで続けることに意味があるのですから、一過性のイベントで終わらせてしまっては、意味がありません。

このことは「人生プラン」にもいえます。いや、「人生プラン」という総論にこそ、細かすぎない、ゆるい設定を考えるべきではないでしょうか。

高齢になっても、人生に目的や目標を持つのは悪いことではありませんが、あまりにストイックになるのは考えものです。

いちいち「今日はプランにない無駄遣いをしてしまった」「このところダラダラしすぎているのではないか」などと気に病んでいたのでは、すぐに疲れてしまいます。

若い頃ならともかく、プランどおりに進んでいるかをいちいちチェックするのはいかがなものでしょうか。

「3年後までには蓄えを5割増しにする」「1年後には体重を○キロ落とす」などと具体的にプランを設定して、達成できていたら喜び、そうでなかったら落ち込むというのは、悠々自適を旨とする「ひとり老後」にはまったく似合いません。

老後に細かすぎる人生プランは不要。自分には少し甘いくらいでちょうどいいのです。大切なのは自分のペースを守ること。それだけです。

かわいい孫にもお小遣いは与えすぎない

ひとり暮らしをしているところに、子供や孫が遊びに来てくれるのはうれしいものです。そんなとき、孫にお小遣いやプレゼントをあげて、「おばあちゃん(おじいちゃん)、大好き!」なんて言われたら、なんでもしてあげたくなってしまうかもしれません。

お金に余裕のある現役時代は、それでもいいかもしれません。しかし、リタイア後は現役時代のように十分な収入があるとは限りません。年金だけでは足りず、預貯金を切り崩して生活しているシニアも多いはずです。

このような暮らしをしているのなら、気前のいいおばあちゃん、おじいちゃんをいつまでも演じる必要はないと思うのですが、いかがでしょうか。

そんなことを続けていると、孫は祖父母に何かしてもらうのが当たり前と思うようになり、「いつでも頼めばお小遣いがもらえる」「買ってくれないのはおかしい」と、思い違いをすることにもなりかねません。

二人の孫にお年玉をあげる人
写真=iStock.com/kohei_hara
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