笠置が自伝で「因縁物語」と書いた幼少時の出来事
NHKテレビの「ブギウギ」は華やかな歌と踊りが多く、視聴者の関心もその方面に向きがちである。しかし主人公笠置シヅ子の人生は、危いいばらの道であった。彼女の歌と舞台の栄光は生死の危機を撥ねのけて得たものである。
筆者はひそかに笠置のことを「強運の女」と呼んでいる。その一つ二つをご紹介してみたい。
笠置はこれから話すことがらを自著『歌う自画像:私のブギウギ傳記』(1949年、北斗出版社)の中で、「因縁物語」と呼んでいるが、芸名とも関係していく。
笠置が九死に一生を得た因縁物語の一つには、4歳の時にかかった百日咳がある。元々、笠置は気管が弱く百日咳に罹り大阪医大に入院することになった。
ところが思わぬことに病状はどんどん悪くなる一方で、とうとう病院からは治癒の見込みがないと匙を投げられてしまった。亀井の両親のみならず親戚一同が集まって、葬式の段取りまで打ち合わせする始末だった。
そんな最中、大阪・福島の亀井音吉(笠置の養父)の店先にやせ衰えた老婆が現れて空腹を訴え、売り物の米を無心するのだった。音吉が訳を聞くと、ある商家の飯炊きをしていたが火災に遭い暇を出されてしまった。ついては長野の善光寺で寺男をしている遠い縁者を頼っていくところだと打ち明ける。さらに四国・高松の生まれであることもわかった。
百日咳で生死の境をさまよっている時、謎の老婆が来た
老婆の亡くなった亭主も琴平市で祈祷師をしていたそうで、縁者も寺や神社に関係する仕事についている人が多いという。
哀れに思った音吉は老婆に食事を供し米も分け与えた。このとき老婆は音吉から娘が病を得て生死の境にいることを知った。すると老婆はおもむろに頭陀袋からお守りのようなものを取り出し、真剣な顔つきでこんなことを言い出した。「そんなら、この護符で病人の額を三度なすりなさい。たちどころに平癒します」。
神信心に薄い音吉はありがたがりもせずその紙切れをもらった。見ると四国・琴平の金毘羅神社の御札だった。
病院に行った音吉は、半信半疑でその護符を笠置の額に当て老婆の言われた通りにすると、その晩からみるみる病状は回復していった。驚いたのは医者ばかりではない。