家庭崩壊、その後宮仕えになる
写本の件はさておいて、結婚破綻からだろうか、家庭生活蔑視の観が『枕草子』にはうかがえる。例えば、
清少納言(『枕草子』「生ひ先なく」段)
「見かけの幸福」は原文では「似非幸ひ」で、夫の出世などをさし、現代の言葉でいうなら小市民的幸せで、虚構の家というニュアンスだ。それならどう生きるか。清少納言は続けて、
清少納言(『枕草子』「生ひ先なく」段)
と言う。社会生活を体験させよと言うのだが、これは何も上流貴族の娘だからというだけではないだろう。彼女自身の体験からもきていると思われる。
家庭生活にうんざりしているところへ、その才を買われ、私的な女房として中宮定子(後に皇后)の許に出仕し、定子の死去まで八年間程仕えたのだから。宮仕えがよほど性に合ったのだろう。
年の差婚だった紫式部のお相手とは
紫式部の結婚生活が終了した理由は、離婚ではなく、結婚して三年目に夫が亡くなったことだ。その経緯は彼女の越前国(福井県)下向から話さねばならない。日本海側の雪深い遠国への下向は、父藤原為時の赴任に伴ってのことだ。
為時の越前守任官には有名なエピソードがある。為時は任官発表で淡路(兵庫県の一部)守に任ぜられたが、三日後にわかに越前守に転任した。下国である淡路国に比べ、越前国は大国であり、国司としての格が違う。収入にも雲泥の差がある。
人事の結果、最初に淡路守に任ぜられた為時は、「苦学の寒夜、紅涙襟を霑し、除目の後朝、蒼天眼に在り」の句を、女房を通して奏上した。
「除目」というのは、在官者名を列記した目録から、旧任者の名を除いて新任者の名を書き込むことで、任官行事である。「寒い冬の夜、目を真っ赤にして紅の涙の流れるほど勉強した。そのかいなく任官発表では青ざめた目で天を眺めるばかり」と作詩したのだ。
為時の詩を読んだ一条天皇は食事も喉を通らず、寝所に入って泣いた。天皇の悲哀振りを聞いた藤原道長は、越前守に任じられたばかりの源国盛に辞退させたという。とばっちりを受けたのは国盛だ。国盛は衝撃のあまり病気になってしまい、秋の除目で播磨(兵庫県南西部)守に任じられたが、病は癒えず死んでしまったという。為時の漢詩作成能力の偉大さを物語るエピソードだ。