白内障の手術数は国内で年間約167万件。その歴史も長い。眼科外科医の深作秀春さんは「約100年前に86歳で亡くなった印象派の画家モネも白内障だった。有名な睡蓮のシリーズは、白内障患者特有の見え方によって色彩などが変化している」という――。

※本稿は、深作秀春『白内障の罠 一生「よく見る」ための予防と治療』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

「睡蓮」の絵に見る白内障患者モネの見え方の変化

見るということ、そして白内障というものを知るために、まずは意外な視点からアプローチしてみましょう。この「見る」という行為を考える上で分かりやすいのが、ある著名な画家による芸術作品と、目の変化による作品への影響です。

「睡蓮」の絵で有名なフランスの画家モネについては、皆さんも聞いたことがあるでしょう。日本でも上野にある国立西洋美術館だけでなく、全国各地の美術館などで、モネの「睡蓮」の絵を見ることができます。2024年には「睡蓮」が見られるモネの展覧会もいくつか開催されています。

もちろん、海外に行けば、パリのオランジュリー美術館には、「睡蓮の間」という、楕円だえん形に作られ、壁に睡蓮の大作が囲むように飾られた大きな部屋が2つあり、モネの睡蓮の絵の連作に包まれる感動があります。

なんと近代絵画の殿堂であるMoMA近代美術館でも「モネの睡蓮」が一番人気なのです。このモネの睡蓮の絵を見てみましょう。

日本文化に憧れたモネが作った美しい「睡蓮の池」

モネの家があったジヴェルニーは、パリの北にあり、私も3回も訪れて、現地で私自身が睡蓮の池を油彩画に描きました。【口絵1】が、私が撮影した実際の風景写真です。

浮世絵などから日本の美への憧れがあったモネは、この日本庭園と睡蓮に魅せられて、ジヴェルニーに造成した水の庭に、睡蓮を取り寄せて栽培し、日本風の太鼓橋を作りました。その後モネは、この睡蓮の池をライフワークとして長年描いています。

【口絵2】は、シカゴ美術館展示のモネの「睡蓮の池」で、1900年の作品です。モネは1898年ごろから、ジヴェルニー村の自宅の庭に水を引き込んで池を作り、睡蓮の連作を描き始めています。1900年にはデュラン=リュエル画廊に「睡蓮の池」を展示して、徐々に人気となっていったのです。

この作品は、モネが60歳の円熟の時の作品で、明るい光と色彩にあふれて、印象派の特徴的な色使いがなされています。特に、緑と青の鮮やかな色彩――睡蓮、太鼓橋、木々、水に映る反射などの、光と影の織り成す刺激的な明るい彩度の高い色――で満ちているのです。

まさにモネが若いころから実践してきた、自然の中で描き、自らの目と脳を通し、「見えるがまま」に描いた、自然の風景なのです。これこそが、当時の革新的な絵画技法であった「印象派」の色彩の織り成す錦模様だったのです。