再手術を乗り越えオランジュリー美術館の大作を描いた

当時の手術には、現代とは比べるべくもない問題がありましたが、モネはそれでも、メガネを装用し、さらに見え方の訓練を行ない、少しずつ慣れていきました。そして、ジヴェルニーの家に鉄骨枠でガラス張りの大きなアトリエを作り、その中で、ジヴェルニーの池の前で描いた睡蓮の絵を仕上げていったのです。見え方の練習をして、またメガネもよいものに変えたりしながら、制作を進めました。

【口絵4】を見ていただければ、興味深いことが分かります。白内障手術前に描いた場所(左上半分)には、茶褐色が残っていますが、手術後には、ピンク、青、紫、緑が再び見えるようになり、下半分では多くの色を描いています。白内障の時に描いた場所と手術後に描いた場所の色彩の違いが、1つの絵の中にあるのですね。

【口絵4】モネ「アイリス」1922-1926年、油彩、シカゴ美術館蔵
出典=『白内障の罠
深作秀春『白内障の罠 一生「よく見る」ための予防と治療』(光文社新書)
深作秀春『白内障の罠 一生「よく見る」ための予防と治療』(光文社新書)

こうして、クレマンソーの励ましもあり、睡蓮の絵の大作の制作も進みました。このモネの制作は、1926年12月に86歳で亡くなるまで続いたのです。

翌年、この睡蓮の大作はパリのオランジュリー美術館に納入されました。そこには、先にも紹介した、大きな楕円形の睡蓮の間という部屋が2つあります。

部屋の壁は、出入り口以外は、2メートル四方の大きなキャンバスをつないで描かれたジヴェルニーの池と睡蓮で埋め尽くされています。鑑賞者はまるで、ジヴェルニーの睡蓮の池の中で包まれているような不思議な感覚を味わいます。

この絵は今や、フランスの至宝となっています。

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