私たちの思考は言語による影響を受けている
さて、ソシュールによる指摘は、なぜ重要なのでしょうか。二つの点があります。
一つは、私たちの世界認識は、自分たちが依拠している言語システムによって大きく規定されている、ということを示唆するからです。西洋哲学が「世界はどのように成り立っているのか」という「Whatの問い」からスタートしていることはすでに説明しましたね。
この「問い」以来、デカルトやスピノザらが活躍した17世紀くらいまでの哲学者は、事実に基づいて明晰に思考を積み重ねていけば、「真実」に到達することができる、と考えていたわけですが、本当にそうなのか、という大きな疑義をソシュールは投げかけます。
どういうことか。私たちは言葉を用いて思考するわけですね、当たり前のことです。しかし、その言葉自体が、すでに何らかの前提によっているとすればどうか。言葉を用いて自由に思考しているつもりが、その言葉が依拠している枠組みに思考もまた依拠するということになってしまいます。
私たちは本当の意味で自由に思考することができない、その思考は私たちが依拠している何らかの構造によって大きな影響を不可避的に受けてしまう、これが構造主義哲学の基本的な立場です。
「自身の構造でしか考えられない」という構造主義哲学
ソシュール自身は言語学者であるにもかかわらず、構造主義哲学の始祖と呼ばれるのはそのためです。
ちなみに「私たちは私たちが依拠している構造によって考えることしかできない」ということを、別の角度から指摘したのがマルクス、ニーチェ、フロイトらでした。彼らはそれぞれ、私たちの思考が「社会的な立場」「社会的な道徳」「自分の無意識」などによって不可避的に歪められてしまうことを指摘し、これらの考察が、やがてレヴィ=ストロースに代表される構造主義哲学へと収れんしていくことになります。