「愛されるリーダー」と「恐れられるリーダー」、どちらが望ましいのか。コンサルタントの山口周さんは「ナポレオン、ヒトラー、スターリンも愛読したという『君主論』で、マキャベリは『恐れられるリーダーになるべきだ』と主張している。現代人の多くはこの考え方に嫌悪感を抱くが、そうした思想が500年以上も読み継がれているのには理由がある」という――。

※本稿は、山口周『武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

ニッコロ・マキャベリ(1469~1527)
イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。理想主義的な傾向の強かったルネサンス期において、政治は宗教・道徳から切り離して考えるべきであるという現実主義的な政治理論を展開した。
ニッコロ・マキャベリの肖像画
ニッコロ・マキャベリの肖像画〈サンティ・ディ・ティト作、ベッキオ宮殿所蔵〉(写真=Nickniko/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

国家の利益のためなら、どんな手段も許される

愛されるリーダーと恐れられるリーダー、どちらの方が優れたリーダーなのか、というのは人類の歴史が始まって以来、連綿と議論されてきた問題です。マキャベリは、著書『君主論』の中で、端的に「恐れられるリーダーになるべきだ」と主張します。

マキャベリズムとは、すなわち、マキャベリが『君主論』の中で述べた、君主としてあるべき「振る舞い」や「考え方」を表す用語です。では、その内容とはいかなるものか。

平たくまとめれば「どんな手段や非道徳的な行為も、結果として国家の利益を増進させるのであればそれは許される」ということになります。

ナポレオン、ヒトラー、スターリンも愛読した

この本が、当時も今も私たちに衝撃を与えるのは、これほどまでにあけすけに「タテマエとホンネ」のうち、ホンネでリーダーのあり方を語る言説が、ほとんどないからです。

嘘か真か、ナポレオン、ヒトラー、スターリンらは寝る前にベッドで『君主論』を読んだと言われていますから、「理想の実現のためには犠牲は致し方ない」と考えようとした独裁者にとって、この本はバイブルのような位置付けだったのかもしれません。

このように、言ってみれば「非常に偏った」内容ではあるのですが、マキャベリがこのような持論を展開したのには、その当時ならではと言える理由がありました。