フィレンツェは軍事的にあまりに脆弱だった
リーダーシップには文脈依存性があります。つまり「どのようなリーダーシップのあり方が最適なのか」についての答えは、状況や背景によって変わる、ということです。したがってマキャベリの主張もまた、当時のフィレンツェの状況を知らずに鵜呑みにすることは危険だと思います。
当時、フィレンツェは列強諸外国からの介入を受けていました。1494年のシャルル8世によるフランスのイタリア侵攻をはじめ、主だったところだけでスペイン、神聖ローマ帝国といった外国の軍隊が介入してきて戦争が巻き起こったのですが、そうした諸外国の軍勢と比較して、フィレンツェの軍事的脆弱さは如何ともしがたく、外交官として働いていたマキャベリは10年以上に亘って、諸外国・諸都市を訪問し、なんとか共和国を支えようと奮闘し続けたのです。
なかでも、マキャベリはチェーザレ・ボルジアに強い感銘を受けたようです。チェーザレは教皇アレキサンドル6世の庶子で、その教皇は北イタリアで圧倒的な権力を持っていましたから、フィレンツェにとってはもっとも危険な敵です。
世界最初の「トップの人材要件に関する提案書」
立場からすればボルジア家とは距離を置くべきですが、マキャベリはチェーザレの勇気、知性、能力、特に「結果を出すためには非情な手段も厭わない」という態度に大きな感銘を受け、ひたすら道徳的・人間的であろうとするために戦争にからっきし弱かったフィレンツェのリーダーたちに、チェーザレの思考様式・行動様式を学んで欲しいと考えました。これが『君主論』執筆の中核となるモチベーションでした。
果たせるかな、『君主論』は、当時フィレンツェを実質的に支配していたメディチ家のトップ、ロレンツォ・メディチに献呈されます。今日、世界中の大企業向けにコンサルティング会社やビジネススクールが「経営者の人材要件」を提案していますが、マキャベリの『君主論』は、世界最初の「トップの人材要件に関する提案書」と言えるかも知れません。
一点、注意しなければならないのは、マキャベリは「どんなに非道徳的な行為も権力者には許される」などと言ってはいない、という点です。ここはマキャベリズムについて、よく勘違いされている点なので注意してください。