言語はどうやって生まれたのか。編集者の松岡正剛さんは「民族や部族によって言語が異なっていった理由や、音声と文字の関係など、言語をめぐる謎はまだ十分に解明されていない」という。数学者・津田一郎さんとの対談をまとめた『初めて語られた科学と生命と言語の秘密』(文春新書)の一部を紹介する――。
家で本を読むきょうだい
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「心」と「言語」は似ている

【津田】さっき松岡さんは、言語にはマントラのような核があって、奥に蕾みたいなものがあって、それがパッと弾けて外に出ると言われましたよね。私が興味があるのは、心にはその蕾があるのかどうかということです。心について考えてみると、弾けたことで蕾があることが初めてわかるというか、蕾だったことが発現されるような破れ方をしているのではないかとも思える。

【松岡】うん、うん。

【津田】言語もそれに似てますよね。いや、心に蕾の破れがあるから、言語もそういうふうに捉えられたんではないかと思うんですよ。言語ってヘタに使うと閉じていく。人との関係性もそうだし、言語の創発性においても、うまくいかない。それで生成性がなくなるんだけど、でも「破れ目」をうまくつくって、弾いて外に放り出してあげるような機能をもてる言語であれば、いろんな意味を生み出せる。そのあたりをもう少し松岡さんに聞いてみたい。

ヒトはどうやって言語を獲得したのか

【松岡】言語はもともと破れ目ができやすいようになっているんだと思います。というよりも、破れ目が言語を生じさせたようなところがある。自然環境の一画で定住を始めたヒトが集団性を感じるようになって、気候変動や穀物収穫や生老病死を前に互いにいろいろなジェスチャーや発声をしたわけですが、それはまだたどたどしい段階です。

けれどもやがて、そういう出来事の決定的な変化と、ヒトのプリミティブでぐずぐずした情報伝達のあいだに生じた破れ目みたいなものが、原言語を駆動させたと思います。このとき少数の母音に子音が多めに組み合わさり、知覚体験とSVOが対応するようになったり、名辞のネーミングがカンブリア爆発的にふえたり、「身ぶり」や「歌」が分節力をもったりしたんでしょうね。

で、これらのことから推測すれば、言葉を駆動させたのは「心」や「意識」を管轄することになる脳の活動でしょうから、その脳と心のあいだで蕾が破れるようなことがいくつもおこっていたということになります。

この蕾に似た「胚胎のモナド」のようなものについては、ギリシア哲学のプシュケー、ヒンドゥ哲学のプラーナ、古代インド言語学のスポータ、中国の「気」、東南アジアのピー、日本の言霊など、いろんな呼び名で議論されてきました。みんな似たようなものです。ちなみにスポータは「スポーツ」の語源ですね。スポーツはみなぎった状態が弾けるという意味です。

そして言うまでもなく、そういう心は脳が司っているのだろうから、脳にも蕾にあたるもの、破れ目と深い関係をもつものがなんらかのかたちで先行していたということになる。それは津田さんの推察どおりです。ただ、言語をめぐるめんどうな問題はここからです。たくさん問題が噴出する。