声を出して読むと五感をもって感じられる
【津田】われわれも小学校のころは声を出してしか文字を読めなかったですよ。学校では「黙って読みなさい」と黙読を促されるんだけど、最初それはどういうことなのかよくわからなかった。音読しかできないので、黙読に戸惑っていました。
たしかに慣れると読むスピードは速い。ぱっと見て文字情報を入れられるから、情報を入れる速度は速くなる。音に出せば、当然ながら音のスピードでしか読めませんからね。だけど声に出すと、黙読のときとは全然違うものが感じられる。黙読だとさっと読んでしまうようなところが、もっと五感をもって感じられる。
私はいまでも黙読していても、アタマの中で音を出して読んでいます。だから読むのが遅いんです。アタマの中で声を出して読まないと、感じが掴めてこない。なんとなく黙読できるようになってはいるけど、実は文字通りの黙読はしていないようなところがあるんです。
喋るときと書くときで別人になる理由
【松岡】それは津田さんの才能かもしれない。音読はリニアだけれど、「次から次」という展開軸がしっかり刻印できるということがおこります。黙読はスペーシヴで、文脈や場面の単位で読める。映像的で、プロジェクション型なんです。マンガがそうですね。
しかし、こうしたことには言葉の歴史を通した文化人類学的な継続と転換があるんですね。また、聾唖などの障害との関係もある。ぼくはおそらく日本で初めての試みだと思うんですが、目が不自由な人、読唇術で会話をする人、手話の人、筆談の人といったパネリストの中で、ぼく一人が健常者というシンポジウムをしたことがあるんですが、たいへん示唆深いものでした。
ちなみに津田さんはしゃべっていてもとてもリテラルだよね。だから書いていることと話すこととがあまり分離してない。書いているとすごいけど、喋ると何を言っているかわからない知識人はけっこう多いんですよ(笑)。実名を出しますが、吉本隆明は話しているときは共振状態というか、ハウリングというか、話がとてもポリフォニックでした。だから文字起こしするのがたいへん。でも書くと人が変わったかのように、すごく明晰になる。
【津田】きっとそこに「破れ目」が隠れているんです。それがどう弾けるのかということです。