「編集」とはどういう作業なのか。編集者の松岡正剛さんは「雑誌や書籍やテレビという『情報の箱』を次々にあけさせるために、情報の特徴を読みとき、それを新たな意匠で変化させ、再生することだ。こうした能力をもつのは記者や編集者だけではない」という――。

※本稿は、松岡正剛『知の編集工学 増補版』(朝日文庫)の一部を再編集したものです。

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写真=iStock.com/RyanKing999
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ニュースや記事には編集が加わっている

いま、われわれは膨大な量の情報にかこまれ、おびただしい数のメディアにさらされている。こんな大量の情報に一人一人が対応することはどう考えてもとうてい不可能だ。そこで、誰もが新聞やテレビや雑誌や書籍を日常的に利用する。目を走らせる。最近はBSやCSやインターネットや携帯電話でもニュースが手に入る。〔追記=この「最近」とは1990年代半ばのこと〕

新聞やテレビや雑誌がもたらしてくれる情報は、世界中にガンジスの砂子のごとく溢れている情報からくらべれば、それなりにしぼられているのだから、しぼられているぶんだけ、ざっと目を通すにはとても便利になっている。だから、拾いやすいし、読みやすい。とはいえ、そのニュースや記事をナマのままだとおもってはいけない。

事実そのものではない。そこには編集が加わっている。しばしば新聞の読者やテレビの視聴者は、ニュース報道というものは客観的事実を伝えているとおもいがちであるが、けっしてそんなことはない。どんなニュースも編集されたニュースなのである。〔追記=その後SNSが普及するとユーザーが発信者となって、編集なしの情報が出回るようになった〕

見出しで情報の表情はがらりと変わる

新聞の記事は記者が書いている。記者が書けることは、平均すれば事実のほんの一部だ。各紙で表現もちがっている。その記事のヘッドライン(見出し)も記者やデスクがつけている。「トンネル事故」と書くか「トンネルで惨事」と書くかでは、ニュアンスは変わってくる。同じ記事に「首相、苦悩の決断」とつけるか、「首相、いよいよ決断」とつけるかで、情報の表情は変わってくるのである。客観的事実をそのまま伝えるなんて、しょせん不可能なのだ。そこが逆に各紙の腕のみせどころにもなってくる。

テレビのニュースにもさまざまな編集が加えられている。一見、報道すべき事実だけをナマで伝えているように見えるものの、一度でもテレビ局の編集現場を見ればわかるように、10倍から50倍の素材映像をいろいろ切りきざみ、つなぎあわせ、これにナレーターやアナウンサーの読む原稿やニュースキャスターの言葉を加える。