海外で日本の商品を売るときに大切なことはなにか。エジプト味の素食品社の社長を務めていた宇治弘晃さんは、カイロ国際見本市に「フーテンの寅」の格好で啖呵売をした。数字だけアラビア語で、あとは日本語だ。そこでは味の素が「飛ぶように売れた」という――。

※本稿は、黒木亮『地球行商人 味の素グリーンベレー』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
※本稿は、2013年の話です。登場人物の肩書は当時のものとなります。

何を言っても制服を着ない営業マン

2月下旬――

宇治(※)は、オフィスの社長室のデスクで、総務担当の男から報告を聞いていた。

※宇治弘晃氏:エジプト味の素食品社の社長

「やっぱりいうこと聞かないか……」

水色の作業服姿の宇治が、苦々しげな顔でいった。

作業服は川崎工場のお下がりで、エジプト味の素食品社の冬の制服として譲り受けたものだった。

「はい、この2日間も注意したんですが、相変わらずジーパンで来ています」

社長用のデスクにくっ付いた会議用テーブルで、総務担当の男が悩ましげな表情でいった。

昨年のラマダン明けに入社した営業マンの一人が、制服のチャコールグレーのズボンをはかないで毎日出社しているのだった。

「それで、はかない理由は何だっていってるの?」
「あのズボンは汚れてしまったので、ゴミとして捨てる、といっています」

縁なし眼鏡の総務担当の男がいった。

「なに、ゴミとして捨てる⁉」

宇治が目を剥く。

(会社が金を出して、わざわざ仕立てて支給したものを、ゴミとして捨てるっていうのは、どういう神経なんだ⁉)

「分かった。会社のルールに公然と挑戦するというのなら、これはもうワーニング・レターしかないね」
「そうですね」

カイロの市場でセールスマンと一緒に営業をする宇治弘晃氏(右)
写真=筆者提供
カイロの市場でセールスマンと一緒に営業をする宇治弘晃氏(右)

エジプトなまりの英語でまくし立てようとする

宇治はワーニング・レターを作成し、件の営業マンを社長室に呼んだ。

「きみは制服のズボンをはかないようだけれど、理由は何なのかな?」

宇治は、努めて穏やかに英語で語りかけた。

「ルールだっていうのは分かってます。でも総務の担当者が、僕にひどいいい方をするんです。もうしょっちゅう……」

宇治の目の前にすわった営業マンは感情もあらわにまくし立てる。

24歳で、背が低く、坊主頭で、口の周りにうっすら髭を生やした顔は、日本の田舎の親父のように見える。出張でやって来る浅井(※)は「坊主」と呼んでいた。

※浅井幸広氏:世界各国で行商を指導している海外食品部の部付部長

隣にセールス・マネージャーの島田(※)がすわっていた。

※島田周雄氏

「総務の担当者の話は別問題でしょ? 制服のズボンをはくのは会社のルールなんだから、守ってもらわないと」
「いや、おんなじ問題です! どうしてかというと……」

坊主頭の営業マンは、巻き舌のきついエジプト訛りの英語でなおもまくし立てようとする。

「この件については、あなたにワーニング・レターを出すことにしました」