文字に意味を持たせる音声の作用
【松岡】そうですね。日本人も縄文時代以来、漢字がくるまで文字を持っていなかったわけです。声によるオーラル・コミュニケーションを1万年以上続けていた。しかし文字が入ってくるのはとてもマジカルな出来事で、たとえば「漢委奴国王」の金印をもって、これがキングからの「印」だと言われると、力を感じたんだと思う。白川静さんは一貫して「漢字には呪能があった」と言ってました。錬金術の記号が魔術だったようなものですね。
ぼくは「おまえの名前はこういう字を書くんだよ」と「正剛」という漢字を教えられたときは、かなり怖かった覚えがありますよ。セイゴーという響きが角々の線分であらわされた「正剛」ですからね。松岡正剛と四つ並べると、「岡」が二つも入っている。これ、親がまちがったんじゃないのと思いました(笑)。
【津田】音声はアナログで、文字はデジタルですから、デジタルのほうが圧倒的に記述能力は高いわけですよね。だけど一方で音声との対応なくしては文字は単なる記号です。「読み」がなければ意味を持たせることはできなかった。だから、音声がある種の触媒的な作用をしていたように思います。そう考えていいですか。
「もう一度、音読社会を取り戻せ」
【松岡】はい、そのとおりです。文字が生まれた初期の頃は、すべての文字を音読していたわけですね。ルネサンスや17世紀後半ぐらいまでは、どんな文字も音読しないとわからなかったはずです。だからアコースティックな回路と文字の並びとは一蓮託生だったわけです。しかし、活版印刷の普及によって文字と言語と意味が合体するようになって、音声が文字から離れて話し言葉の領域になっていったんですね。
では、それまで文字を読むときに音声が伴っていたのはなぜかというと、写本だったからです。写本をするときはAテキストをBに写すのですが、そのときぶつぶつ声をだしながら写していた。これは「カテーナ」(鎖)と言われていたもので、文章を声の鎖のようにしてAからBへ移していく。声にはその転移力があったんですね。
ですから長いあいだ、読書は音読が中心です。当時の図書館も大判の本が多いんですが、キャレルという閲覧ブースの中に入って、みんな声をぶつぶつ出しながら読んでいた。閲覧机の仕切りには隣りの声が邪魔にならないように衝立がしてあったものです。つまり、音読って「声の再生」だったんです。
声の力をいまなお堂々と告げているのはイスラムの『コーラン』(クルアーン)ですね。あれは声を出さないと読んだことにはなりません。しかもイスラムは世界史上初めて文字を持ってあらわれた世界宗教で、『コーラン』の第一節、第二節、第三節はナスターリックやクーフィックなどのさまざまな書体で書かれているんですね。音声と文字を一致させようとしている。ぼくは、「もう一度、音読社会を取り戻せ」と言っている。