「知人や友人は多ければ多いほど良い」は本当か

一つ一つの指摘にそれぞれ深遠な響きがあり、自分がそのような存在であるか、と省みるための大きな契機になるように感じられるのではないでしょうか。これらの一つ一つを取り上げて考察するだけでも一冊の本になりそうですが、ここで特に取り上げたいのが「⑤超越性――プライバシーの欲求」と「⑩対人関係」です。

これら二つの項目を読めば、マズローが「自己実現的人間」とみなす人は、孤立気味であり、いわゆる「人脈」も広くないということになります。

これは、私たちが考える、いわゆる「成功者」のイメージとは、かなり異なる人間像ですよね。私たちは一般に、知人や友人は多ければ多いほど良い、と思う傾向があります。確かに、友人や知人の数が多ければ、例えば仕事で声をかけてもらうとか、あるいは何かのときに助けてもらうことは、より容易になると思われます。

だからこそフェイスブックの友達数やX(旧ツイッター)のフォロワー数は「多ければ多いほど良い」と考えられているわけですが、マズローの考察によれば、成功者中の成功者である「自己実現的人間」は、むしろ孤立気味で、ごく少数の人とだけ深い関係をつくっている。

荘子は「小物ほどベタベタした関係性を好む」と言った

このマズローの指摘は、ソーシャルメディアなどを通じてどんどん「薄く、広く」なっている私たちの人間関係について、再考させる契機なのではないかと思うんですよね。

実は、同様の指摘をしている人が、過去の賢人の中にもいます。例えば『荘子』の「山木篇」に「小人の交わりは甘きことれいの如し、君子の交わりは淡きこと水の如し」という言葉があります。醴とは甘酒のようなべったりと甘い飲み物のことです。つまり、荘子はモノゴトをわきまえていない小人物の付き合いはベタベタとしており、その逆である君子の付き合いは、水のようにあっさりとしていると言っているわけです。

つないだ手を金属のチェーンで縛ったカップル
写真=iStock.com/AndreyPopov
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