上皇后・美智子さまをめぐる「激しい言葉」
上皇后・美智子さまは、今月20日、89歳の誕生日を迎えられた。
24歳でのご成婚から65年半もの歳月を、皇室の一員として過ごされた、その長さと重さに思いを馳せた人も多いのではないか。
他方で、美智子さまをめぐって、インターネット上では、誹謗中傷ともとられかねない、強い言葉が飛び交っている。
「ある意味、日本の歴史上稀に見る成り上がり人生ですね」
「若い頃は美しかった」
美智子さまのお誕生日を報じたYahoo!ニュースへのコメントの一部である。
これを読んだだけで「ひどい」と思った人も、あるいは逆に、「穏当だ」ととらえた人も、どちらもおられるのではないだろうか。
みなさんのご想像通り、ここに引いたのは、これでもかなりやわらかい。
引用を憚られる、激しい言葉の数々が、ヤフコメだけではなく、ネット上には、いくらでも見つかる。
もちろん、ネットでたたかれるのは、美智子さまだけではない。
いつもどこかの誰かが炎上しており、その都度、「消えろ」とか「神経を疑う」にとどまらない、強い表現が投げつけられている。
美智子さまについては、そうした、一過性のものではない。
彼女がスターとして出てきてから、70年近くにわたって、周期的に繰り返されてきたのである。
「ミッチーブーム」という幻想
「ミッチーブーム」は、国民全体が祝福したのではないか? そう思う人もおられるだろう。
当時の皇太子さま(いまの上皇陛下)とのご結婚をきっかけに起きた、美智子さまをめぐる興奮を、その名前にちなんで「ミッチーブーム」と言うほど、「平民」ご出身の皇太子妃を、多くの人たちが歓迎し、熱狂していた。
戦争が終わり、男女平等を掲げる日本国憲法ができて10年あまり、美智子さまの存在は、復興から高度経済成長へと向かっていたこの国にとって、希望の星だったに違いない。
長野県軽井沢のテニスコートでの出会い、というエピソードも、恋愛結婚が増えていた時流と合わさって、新しい時代の到来を、全身であらわしていたと言えよう。
他方で、「平民」という表現に見られる通り、新しさを受け入れたくない人たちもまた、かなりの数にのぼっていた。たとえ、民主主義の、誰もが平等な世の中になったとはいえ、皇族に「嫁ぐ」以上は、それなりの身分がなければならない。そう考える人たちは少なくなかった。
そのブームを生み出した喜びは、同じぐらいの抵抗感と背中合わせだった。
しかしその関係は、時間の経過とともに、「あらゆる国民が沸騰した」といったかたちで、まるでひとつの感情しか抱いていなかったかのように、塗りつぶされていく。
「ミッチーブーム」という幻想が、今にいたるまで続いているのではないか。