30年ぶりのバッシングのきっかけ
その空気は、生前退位をめぐる議論や代替わりの間も止まらない。
平成の30年ほどを全力で支えてくれたご夫妻に対して、労う声以外、ほとんど他の意見は聞かれなかった。「お疲れさまでした」、「ゆっくりお休みください」。労わる雰囲気だけが漂った。
およそ30年ぶりのバッシングへと反転するのは、あの結婚がきっかけだった。秋篠宮ご夫妻の長女の眞子さんと小室圭さんの結婚をめぐって、ネットもテレビも雑誌も、袋叩きとなり、その遠因を作ったのが、眞子さんを甘やかした美智子さまではないか、との議論が盛り上がる。
30年前の、あの後ろめたさを、私たちは、もう完全に忘れ去ってしまったのだろう。「平成流」への尊敬も、どこかに置いてきてしまったのだろう。
美智子さまを、いろいろな表現で貶す、それをためらわせるものは、どこにもないのだろうか。
美智子さまが歩んできた89年が示すもの
むろん、30年前の後悔を塗り固めるかのように、例えば『週刊文春』2023年10月26日号は、作家の林真理子氏と俳優の草笛光子氏に、どれほど美智子さまが素晴らしい人なのか、を語らせている。
けれども、それに、どれだけの意味があるというのだろう。
今年8月に亡くなったアメリカ文学者の亀井俊介氏の名著『マリリン・モンロー』(岩波新書)は、その標題に掲げた女優について次のように書いている。
彼女が代表したような人間の美は、いまやますます切実に追慕されるのだ。しかしその美が現在に新しい生命をもってよみがえるためには、彼女がうけついだ伝統、背負った困難さ、それに堪えながら進んだ道、つまりは彼女の生の展開そのものを、深い同情をもって理解し直すことが必要であろう(同書、78ページ)
私は今こそ、この文章を、美智子さまに向けるべきだと思う。
彼女が歩んできた89年間の道のりは、戦争を挟んで、この国に生きる、みんながたどってきたものそのものであり、私たちにとって大きな示唆を与えてくれるものだからである。