無職の息子に父がかけたひと言
前田さんは1984年に生まれ金沢で育った。両親は食器販売店を営んでいる。前田家では、父親が料理を担当していた。晩ご飯や運動会のお弁当、おせち料理まですべて手作り。いりこから出汁をとるなど、父親の料理は本格的だった。
一方、前田さんは「電車運転士の息子が電車に少し詳しくなるような程度には、料理が好きだった」という。
「ただ勉強は苦手でした」と苦笑する。
高校卒業後は、女性ダイエット専門のスポーツジム、水商売の店の客引き、リゾートバイトといった仕事を転々として、19歳で無職となった。
そんなとき、父親から「一緒におばんざいバーをやろう」と提案された。
実家で扱っている器を使い、バスの待ち時間にふらっと入ってもらえるような飲み屋を作ったらどうかな、ということだった。「うん……じゃあやろう」と軽い気持ちで承諾した。
2004年9月、カウンター6席ボックス6席のおばんざいバー「鬼の棲家」がオープン。前田さんはここで初めて父親から、ナスのオランダ煮や里芋の煮物などの料理を学んだ。そこから、料理の道に目覚めていく……わけではなかった。
25歳、突如訪れた転機
「僕は世間知らずだったんです」と、当時を振り返る。
「今思えば、ベースは親父が作ってくれていたので、それにちょいっと乗っかっただけ。途中からひとりで店を任されていましたが、切り盛りしていた実感はまるでなかったですね。毎日やっていたら現金ができて、飲む分には困らない。なんなら、普通に働いている人より、多少使えるお金も多い。ただそんな感じでした」
オープンして4年目の2008年。ビルのオーナーが変わり契約更新を迫られたが、古いビルであったため消防検査の許可が下りなかった。そして前田さんには、なんとかして許可を取ろうという情熱もなく、あっさり辞めた。
再び無職になった前田さんは、雪山のバイトを転々とした。現在の妻・奈緒美さんと出会ったのは、北海道のニセコで働いていたときのことだ。だが、生活が安定することはなかった。
「当時はずっとお酒を飲んでいて、冬になればスノーボードをする。それ以外は何もない人間でした。車が壊れていてもどうでもいい、服が破れていてもどうでもいい。ほんと廃人みたいでした」
25歳の冬、夢も目標もなくただ酒をあおる日々を送っていた前田さんに転機が訪れる。