「スペインに行きます!」
親友の結婚式にあわせて、金沢へ帰省した夜のことだ。水商売の客引き時代によく通っていたスペイン料理屋「アロス」に、結婚のあいさつもかねて飲みに行くことにした。カウンターに座ると小ぎれいな格好をした男性が声を掛けてきた。
「海外からですか?」
スノーボードを担ぎ大荷物を持っていた前田さんを見て、男性は海外在住だと思ったのだろう。
「いや、海は渡るんですけど、北海道です」
この時、声を掛けてきた小山将史こそが、前田さんがスペインへ渡るきっかけを作ることになる。彼は当時、バスク地方にあるミシュラン一つ星レストラン「アラメダ」でシェフをしていた。
その日は午前3時まで盛り上がり、早朝から名古屋に行く予定だった小山さんを金沢駅まで見送った。お酒を飲まない小山さんとは対照的に、前田さんは酩酊していた。別れ際、小山さんが言った。
「兄ちゃん、興味あったらスペインのアラメダに研修しにおいで」
「行きます‼」
勢いでそう答えたものの、その時、前田さんはスペインがどこにあるのかも知らなかった。それでも迷いはなかった。
「何かをするときは『準備できていること』が大前提です。当時の僕は何が準備できていたかというと、くるものは何でもつかめるくらいに空っぽだったんです。日常に飽きて楽しいことを探していたときに、たまたま飛び込んできたのがスペインでした」
修業期間はたったの3カ月
スペイン行きを決め、ハッとする。
海外に行ったことがないからパスポートを持っていない。航空券を買うお金もない。困った前田さんは、北海道の病院で新薬の治験モニターとなり、30万円を用意した。
さらに、金沢に戻った前田さんは知人の紹介で、市内の高級イタリアンで3カ月だけ料理の研修ができることになった。本格的に料理を学んだことがなかった前田さんにとっては、「精神と時の部屋」にいるような苦しい3カ月だった。
「皿洗いからテーブルセッティング、パンをこねて焼くまで幅広く教えてもらいました。誰が僕を料理人にしてくれたかの話をすると、この店のシェフだろうな、と思います。ただ、シェフがめちゃくちゃ怖かったんです。厨房にかかっているお玉というお玉、鍋という鍋が飛んできました」
鬼のごとく厳しかったシェフも3カ月の研修を終えた日、「スペインでがんばれよ」と涙を流し見送ってくれた。
2010年、なんとか料理人の体裁を整えた前田さんは、スペインへ飛んだ。