即採用のワケ
前田さんは緊張していた。
エチェバリの駐車場の横にあるレストランの入り口。ビクトルと対面を果たす。スペイン語をほとんど話せない前田さんは、言いたいことを全部書いたメモ帳を取り出し、立ち話のまま「朗読」した。
「ヨ ソイ ハポネス。キエロ トラバハール(私は日本人です。働きたいです)」
スペイン語をろくに話せない日本人の青年が山を登ってきたのを見て、ビクトルは「自転車できたのか?」と驚いていたという。
「気合が入ってるな、と思われたのか『働いていいよ』となりました。『じゃあ、いつからこれる?』みたいな話になっていたと思うんですけど、用意していったスペイン語以外は話せなかったので、全然答えられない。とりあえず、いつでもいいから後はアラメダのシェフと決めてもらうことにして、その日は帰りました」
空の青さが眩しいよく晴れた日だった。
「生きたレタス」とはどういう意味か
2011年1月1日、エチェバリの初日。
前田さんが出勤すると、従業員はみんな正月休みの最中で、厨房にはビクトルがひとりでミルクを煮込んでいた。「この温度になるまで温めて」と言われ、温度計を渡された。
「鍋を持ってかき混ぜていたら、うっかりミルクの中に温度計を落としてしまって……。よく怒られなかったな、と思いますよ」
これが前田さんの、エチェバリでの初仕事となった。
その後、レタスを洗う仕事を任されるも、「レタスが生きていない」と怒られた。生きたレタスとはどういうことだろうと、模索する日々が続く。ある日は、「お前は今日から前菜担当だ」と任され、戸惑った。
エチェバリの厨房は、前田さんが今まで働いてきたレストランとはまったく違っていたという。
工程が決まっておらず、誰もレシピを持っていない。その日に揃った食材を見て、ビクトルがメニューを決めるため、どんなコース料理になるのかもわからなかった。まるで1本勝負で勝った者だけが本戦に進める「天下一武道会」のような場所、どこまでも料理人としての技量が試される。それがエチェバリの厨房だった。