切られたら、真っ逆さまに堕ちるだけ――そんな恐怖を眼前にした、もしくはそれが現実となった3人に話を聞いた。果たして彼らは“お荷物”だったのか?
「今は夫婦共働き。僕はコンビニの深夜勤務をやってます」――首都圏郊外の繁華街でお会いした村山智巳さん(仮名、40歳)の表情は当初、快活そのものだった。
「シフトで月10日ですが、6日しか入れないこともあるので、手取りは月6万~10万円。深夜の中華料理店のウエーターもやっていますが、こちらは月1万~2万円か、多くて4万円くらい。かみさんが週3日の一般事務で、月にだいたい6万~7万円かな」
故郷から上京し、大卒後に都内の商品取引の会社に就職した。内定者は全員オーストラリア旅行、入社前の研修は城崎温泉で蟹食べ尽くしツアー。世間より数年長引いたバブルを満喫した。
「一貫して営業をやってました。一番景気が良かったのは2000年代前半ですね。ITバブル崩壊後、金・原油をはじめ商品市場へマネーが流入、上司も『ドンドンやれ!』と勇ましかった」
ハイリスク・ハイリターンの商品を、地方の富裕層や都心の不動産業者に売りまくった。出世も早かった。入社7年目で、支店長の下で部下10人弱を使う部長に昇格。年収は1000万円超、ボーナスは「札束が立った」というから、300万円はあったようだ。
が、商品市況の好調もそう長くは続かない。そして5年前のある日、事態が急変した。
「『今度の給料は3日遅れます』という通達が来たんです。ヤバイかな? という予感は少し前からありましたが、上から『心配しなくていいですよ』とうまく言いくるめられてしまった」
そこへ、会社の絡む刑事事件が勃発。配属支店では、支店長と村山さん、部下1人以外は全員辞めた。ほどなくして、会社は巨額の負債を抱え破産宣告。残務整理を終えた村山さんの退職金は150万円程度だったという。
「『遊ぶときはパッと遊べ』『おまえらの金が繁華街を明るくする』という先輩の教え通り、浪費額がけっこうでかくて、貯金は人並み以下しかしてませんでした」