現在50代の女性は震えながら幼少期を過ごした。継父は働かず、たまに家に帰ると母親に無心。毎度、激しいいさかいになった。継父はその後、空き巣で捕まって服役した。また、実母と3歳下の異父妹は女性に対して、「死ね、出ていけ」と暴言を浴びせた。高卒後、短大に入学した女性は中退して、19歳の秋、東京行きの夜行バスに飛び乗り、男性のアパートに転がり込んだ――。
手で顔を覆って泣いている女性
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ある家庭では、ひきこもりの子供を「いない存在」として扱う。ある家庭では、夫の暴力支配が近所に知られないように、家族全員がひた隠しにする。限られた人間しか出入りしない「家庭」という密室では、しばしばタブーが生まれ、誰にも触れられないまま長い年月が過ぎるケースも少なくない。そんな「家庭のタブー」はなぜ生じるのか。どんな家庭にタブーができるのか。具体事例からその成り立ちを探り、発生を防ぐ方法や生じたタブーを破るすべを模索したい。

不倫の子

現在、アメリカ在住の幕内絹子さん(仮名・50代・既婚)の母親は、国立大学病院の事務職をしていた20代の時に、単身赴任で同病院に来ていた既婚男性と知り合い、不倫関係に。何度かの流産と中絶を経て、26歳の時に幕内さんを出産した。

男性には妻と2人の子どもがおり、妻は男性との離婚に頑として応じなかった。やがて男性は母親との不倫関係を清算した。母親はその後、5歳年上の大工の男性と見合いをし、結婚。約1年後に妹が生まれた。

「妹が生まれる前は、私はほとんど母方の祖母に預けられていて、母の一番上の兄のお嫁さんが世話をしてくれていたそうです。継父は、妹はかわいがっていましたが、私はしょっちゅう『アホ!』と言われて虐げられていました」

幕内さんが物心ついたとき、継父はろくに働かず、外に愛人を作っては遊び歩き、ほとんど家に帰ってこなかった。そのため母親は、子どもたちを実家に預け、保険の外交員として働いていた。継父はたまに帰ってくると、母親にお金の無心をし、その度に母親とケンカをしていた。夕飯が並べられたちゃぶ台を怒鳴り声を上げながらひっくり返し、茶碗や皿を壁や母親に向かって投げつける。

幸い幕内さんに対しては、身体的な暴力はなかったが、継父と母親の怒号や叫び声、激しく物が壊れる音に耳を塞ぎながら、幼い幕内さんは、別の部屋に避難し、震えながら嵐が過ぎ去るのを待つことしかできなかった。

幕内さんが5〜6歳の頃には、母と妹と3人で出かけた際、電車に妹だけ連れて乗り込んで、幕内さんは駅のホームに置き去りにされたことがあるという。

「しばらくすると母は戻ってきて、私より、私を心配してついていてくれた駅員さんにだけ謝って体裁を繕っていました」

従兄弟家族とともに旅行に連れて行ってもらったこともあるが、そのときも途中の駅で置き去りにされ、幕内さんは4時間ほどそのまま立ち尽くしていた。遊園地に連れて行ってもらったときは、園内で1人ぼっちにされた。

幕内さんを何度も置き去りにした母親は、どんな心情だったのだろう。あわよくば捨ててしまいたかったのだろうか。

「忘れられないのは、私がまだ小学校の低学年の頃、珍しく家に帰ってきた継父が、私の目の前で母にまたがって、『おい、いいじゃないか』と言いながら事を始め出したこと。そして、私が小3の夏に、継父は空き巣に入って捕まり、2年ほど刑務所に入所していたことです」

継父が刑務所に入ると、母親は自分の実家近くに引っ越した。