太平洋戦争で日米両軍の激戦地となった硫黄島(東京都小笠原村)では、2万人超の日本兵が玉砕し、そのうち1万人の遺骨が見つかっていない。遺骨収集団への参加を含めて、硫黄島に4度上陸した北海道新聞記者・酒井聡平さんの著書『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』(講談社)より、遺骨が行方不明になった要因の一部を紹介する――。
約2週間かけても、4体しか見つからなかった
遺骨収集団に参加して僕が知ったこと。それは収集団の全員が全力を尽くしていたということだ。なのに、約2週間、捜索に取り組んでも、なぜ4体しか見つからないのか。どうして戦後七十数年たっても、これほど小さな島で戦没者2万人のうち1万体しか収容できないのか。
新聞記者にはいろんな属性がある。政治記者や経済記者、スポーツ記者など。僕は元々「サツ回り」だった。北海道警の担当記者だった。分からなければ分かるまで現場に行け。事件の捜査官の世界では「現場百遍」というその心構えを、僕は駆け出しのころにたたき込まれていた。
しかし、硫黄島の現場に二度も三度も行くのは現実的に不可能に思えた。であれば関係者に聞いて回るしかない。「どうして1万人が今も見つからないのですか」。関係者にその疑問をぶつける取材を始めた。
元厚労省職員が口にした「報告書」とは
そのうちの一人が口にした言葉が、後に僕を新たな「未踏の地」に向かわせる発端となった。「報告書を一冊も読んだことがない人が、硫黄島の遺骨収集について書こうとしてはだめですよ」。長年、遺骨収集に携わってきた元厚労省職員の言葉だった。
報告書とは、旧厚生省や現厚労省が年度ごとに遺骨収集の経過と成果をまとめた公文書だった。遺骨収集史に関する出版物はこれまで多数読んできた。しかし、参考文献欄に「報告書」と書かれた書籍は記憶にない。
すぐにでも厚労省に対して情報開示請求をしよう。そんな前のめりの思いが僕の表情に出ていたのだろう。元職員は諭すように僕に言った。「ただし、報告書は数百ページになるものもありますよ。それを全部開示請求するとしたら、それなりの金額が請求されますよ」。