母親が白血病に

兄は離婚後に家を出てから、母親と折り合いが悪くなり、なるべく接触をさけていた。山田さんは、仕事場から自宅の中間に実家があったため、週に3〜4回は帰宅途中に2時間ほど寄るようになっていた。

「兄が離婚後実家を出る時、『俺はおふくろとうまくいかないから出るが、お袋のことは頼む』と言いました。私はまだ介護のことまで考えていなかったので、母と仲が良かった私は、快く承諾したのです」

実家に寄ると、母親は必ず自分で作ったおかずを一品、持たせてくれた。だが、元気に暮らしていた母親が75歳で受けた特定健診で、慢性骨髄性白血病であることが判明する。

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写真=iStock.com/yumehana
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「白血球の数値が突然上がっていたため、主治医が紹介状を書いてくれました。私の付き添いの下、総合病院の血液内科を受診すると、急性でなく慢性骨髄性白血病と診断されました」

医師の説明によると、「慢性骨髄性白血病は、骨髄中で白血球が過度に多くつくられる病気であり、緩徐に進行する血液と骨髄の疾患。症状としては、疲労感、寝汗、発熱があるが、場合によっては全く症状を示さないこともある」という。

母親はまだ症状は見られなかったが、要注意状態となったため、山田さんはほぼ毎日、実家に寄るようになっていった。

母親の異変

それから10年、2014年に母親が85歳になると、母親に異変が見られ始めた。

自営業で、衣料品関係の店や飲食店を経営していた山田さん(59歳)が仕事帰りに寄ると、必ず一品持たせてくれる夕飯のおかずの味がだんだん濃くなり、髪の毛が入っていることが多くなった。また、テレビショッピングを頻繁に利用するようになり、健康器具など、同じものを購入してしまった。電話機やテレビのリモコンなど電気機器の使い方が分からなくなり、銀行のATMの操作ができなくなったため、山田さんに、「通帳を預けるから、お金の管理をして」と言うようになった。

「この頃はまだ、年齢による物忘れだと思い、私も母もそれほど深刻には考えていませんでした。私が認知症予防のドリルを用意して持って行くと、母は楽しみながら毎日、脳の訓練をしておりました」

翌2015年の2月ごろ、2度目の認知症検査を受けると、以前はさほど悪くなかったが、今回は主治医から「MRIを受けた方がいいですよ」と言われ、紹介状を出してくれた。

後日、紹介状を手に総合病院でMRIを受けると、母親は「アルツハイマー型認知症」との診断を受け、認知症の薬を飲み始めた。同じ頃、介護認定の申請をしたところ、要介護1。母親は、デイサービスを週に1回、訪問介護を週に2回から利用開始する。

「アルツハイマー型認知症」であることがわかってから、山田さんと母親は度々話し合いをした。

「母は、私たちに介護の苦労をかけたくないという思いを常々話していたので、最後はホームに入所したいという希望を持っていました。その際、新築の高齢者用ケアハウスの広告を見つけ、見学会に行ってみることにしました」

同じ2015年の5月ごろ、新しくできた軽費老人ホームに母親とその友人を連れて見学へ行った。だが、山田さんは興味津々で見学したが、母親はあまり自分事として捉えていない様子だった。

ところがその年の冬。高血圧だった母親は、血圧を下げる薬を所定量より多く飲んでしまったせいか、血圧が下がりすぎて身体がガタガタ震え、ろれつが回らない状態で、仕事中の山田さんに電話をしてきた。電話を受けた山田さんは、すぐに救急車を呼んだ後、実家に車で向かう。到着すると、ちょうど救急車が出たところだったので、車で後を追った。幸い、母親は投薬だけで落ち着き、すぐに帰宅することができた。