「あんたは何でもないんだから」

柴田さんは物心つくかつかない頃から、すでに「自分の兄は大変なんだ」と理解。両親が少しでも兄のそばを離れるときは、自ら兄から目を離さないようにしていた。

兄の施設には月2回面会に行った。朝、車で施設に着くと、オムツを変えた後、兄を乗せてドライブに出発し、夕方まで家族で過ごし、オムツを変えて別れた。その他に、運動会や遠足などのイベントがあるときも家族で施設に出かけた。もちろん、夏休みや冬休みには2週間ほど家に帰ってくる。

「一緒に暮らしてはいませんでしたが、兄のことは十分に私の中にインプットされていきました。高校受験や大学受験の時期は、私は面会に行きませんでしたが、両親はペースを崩すことなく通っていました」

そんな中、母親は柴田さんに口癖のようにこう言った。

「あんたは何でもないんだから、兄くんについててやりなさい」
「あんたは何でもないんだから、兄くんが帰省しているときは我慢しなさい」

事あるごとに言われ続け、その度に柴田さんは家事や兄の世話を手伝った。

それは兄が家にいるときだけではない。いないときでも、柴田さんがテレビを見たり遊んだりしていると執拗しつように文句を言われる。かといって手伝いに行くと、「自分でやったほうが早い!」と一蹴され、幼い柴田さんが戸惑って何もせずにいると、また文句を言われる。

次第に柴田さんは、自分で何をするべきか考えて動くようになった。

「『私は何でもない』かもしれませんが、子どもは子どもです。母は、私が幼くて何の疑問も持たないうちに、“妹はこうあるべき”という理想像を叩き込んだのです。私はそれが当たり前と思って成長。兄にとっては良かったと思うし、私も兄を支える立場として結果オーライなところはありますが、おかげで私は、常に兄や両親を優先し、自分を基準にして考えられない人間になってしまいました」

兄の通院について行ったとき、主治医に言われたことがある。

「お母さん、娘さんを上手に育てましたね」

その瞬間、母親は得意げに満面の笑みだったが、柴田さんは背筋が寒くなり、青ざめていた。