すべてを見ていた大野が放った一言
ある日、ひとりの作業者がタバコを吸いながら、自動車の組み立てラインで働いていました。昭和の話です。寿司屋の職人がタバコを吸いながら寿司を握っていたのが当たり前の時代でした。
作業者を見た上司は慌てて言いました。
「おい、早くタバコを消せ。こんなところをひげのオヤジ(大野耐一)に見られたら、何をされるかわからん」
すると、上司の後ろに大野耐一がいて、すべてを見ていたのです。
上司の顔からは血の気が引いた……。
大野耐一は上司に向かって言いました。
「いいじゃないか。タバコの1本くらい吸わせてやれ。製品(車)を汚すのはよくない。だがな、タバコを吸いながら仕事をするのが俺たちの理想じゃないか」
繰り返して言いますが、掃除そのものは目的ではありません。
製品を汚さないこと、そして、職場環境を整えること、さらに考えながら掃除をすることが目的なのです。
清潔にしている場所は病院、食堂、もうひとつは?
トヨタでは掃除の方法でさえもカイゼンします。判で押したように毎日、同じ掃除の仕方をするのではなく、少しでもカイゼンして短い時間で切り上げるのがトヨタです。
トヨタでは掃除をすることに精神的な価値を求めてはいません。掃除をしたからといって人間性がよくなるわけではないからです。
掃除の目的は製品を汚さないことですが、環境自体を清潔にしているところもあります。例えば従業員食堂であり、トヨタ記念病院であり、もうひとつは昔、出していた車に使った金型を保管しておく倉庫です。
従業員食堂や病院の環境をきれいに保つのは、それが目的だからでしょう。食堂は環境がきれいでないと食欲がわきません。病院もまた環境が清潔でないと患者は不安になります。どちらもきれいにしておかないと利用者が減り、仕事ができなくなります。
では、かつてリリースしていた車種の金型倉庫をどうしてきれいにしているのでしょうか。
わたしはそこに自動車会社としての矜持を感じます。
トヨタが1970年代、80年代に出していた車に乗っているユーザーは少数でしょうが、今でも愛車として扱っている人がいます。例えばトヨタ2000GT。映画『007は二度死ぬ』でジェームズ・ボンドが乗ったトヨタ2000GTのオープントップカーは世界に2台しかありません。ノーマルの2000GTでも最低価格1億円と言われています。これだけではなく、セリカ、カリーナといったかつての人気車もまだ乗っている人がいます。