キューバ革命を主導したチェ・ゲバラ氏は1959年に日本を訪れ、トヨタ自動車をはじめとするメーカーの生産工場を積極的に視察した。ゲバラ氏はなぜ、当時無名だったトヨタを視察先に選んだのか。『図解 トヨタがやらない仕事、やる仕事』(プレジデント社)を上梓した野地秩嘉さんが解説する――。
故チェ・ゲバラ氏(左)とラウル・カストロ氏(キューバ・ハバナ)
写真=AFP PHOTO/BOHEMIA/時事通信フォト
故チェ・ゲバラ氏(左)とラウル・カストロ氏(キューバ・ハバナ)

大切な情報はオフィスではなく、「現場」で話す

トヨタには現地現物という言葉がある。言葉の起源は創業者の豊田喜一郎だ。

同社社史にはこうある。

「幼時より機械に常に接近していたので訳なく(機械の操作が)出来てしまった。エンジニアーは機械を身内と考へ何時も機械にタッチしていることが最も肝要である。」

喜一郎はつねに工場の現場で機械のそばにいた。もしくは自分で操作していた。このことを踏まえ同社では、「実際に現物で事実を理解する『現地現物主義』は創業者から始まった」としている。

孫にあたる社長、豊田章男(4月から会長)もまた現地現物の人だ。時間があればいつもの作業服姿で本社に隣接する工場へ出かけ、現場の作業者と立ち話をして帰ってくる。

さらにいえば、大切な情報を伝えるのもまずは現場からだ。

富士山のふもとに建設中のウーブンシティについて、トヨタが最初に発表したのは2020年1月、ラスベガスで開かれたCES(コンシューマー・エレクトロニクス・ショー)とされている。しかし、事実ではない。それより1年半も前、豊田は富士の裾野にあるトヨタ東日本の工場にいた。ウーブンシティ建設のために東北へ移転する現場の作業者に説明を行うためだった。

集会のなかで、ある作業者が質問した。

「一個人としては何もできないんだ、オレは」

「豊田社長、ここには、いろんな人間がいます。これから、東北に行って、また車を作っていこうという人、本当は行きたいけれど、家族のことを考えると、一緒には行けないからやめざるを得ない人。

そういう人たちのことを考えると、喜んで向こうに行くのはどうかなと考えてしまうんです。正直、いろいろあるんで、今後、トヨタがどうなっていくのか。未来のビジョンというか、そういうのがあったら、わかっている範囲でいいので、考えていることを教えていただければありがたいんですが」

豊田は、うん、とつぶやいた後、話し始めた。

「横須賀(の工場)からこちらに来たという人、いますね。当時、まだ関東自動車でした。その人たちは今度、東北へ移ると、2度目の移転ですね。それは私もよくわかっています。ご苦労をかけます。

【連載】「トヨタがやる仕事、やらない仕事」はこちら
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さて、最初の移転の後、東日本大震災が起きました。日本の約半分が壊されて……。トヨタは何をするの、豊田章男、おまえには何ができるんだと問いかけられました。ただ、その時に私が思ったのは無力感ですね。一個人としては何もできないんだ、オレはと思った。

でも、何かやらなくちゃいけない。まずはトヨタ自動車東日本を作ることにしました。会社を統合して、東北の復興をやり、雇用をつくる。車をつくる、部品メーカーを誘致し、会社がもうかり、税金を払い続けていく。

一個人は無力だけれど、トヨタのみんなでやればできるんじゃないか。それで、東北への工場移転を決めました。