自動車の形が「どうなるかさえわかっていない」
その時、東富士は残しました。ですが、正直言いまして、日本市場の落ち込みは続いてます。どんどん売れる車をつくっていこうとはしているものの、なかなか、そうはいかない。売れる車がだーっとできればいいんですけど、それを待っていてもしようがない。
今、自動車業界は100年に一度の大変革です。となると、今までみたいに、よい車をつくった、売れた。よし、どんどん工場を稼働させていくぞ。そんな単純なことではやっていけない時代になってます。
自動車自体が大きく変わろうとしていて、自動運転、シェアリング、MaaS……。自動車というものの形がどうなるかさえわかっていない。
変革の時代、東富士工場の跡地は、私は自動運転とかMaaSとかを実証するコネクティッドシティにしようと決めました。ここにある匠の技術を未来の車に載せることにしました。未来の車にみんなの気持ちを乗せたい。自動運転、水素社会、再生エネルギー事業……。実際には住宅を作ります。車を走らせ、コンビニを置き、一大物流拠点にするかもしれない。自動運転車を走らせます。トヨタグループだけでなく、ベンチャー企業も誘致したいと考えています。(略)」
つらいことほど、トップが引き受ける
「東北に行くみなさん、事情があって、行けないみなさんにも、ここに東富士工場があったことは忘れないでもらいたい。ここは未来の自動車づくりに貢献できる聖地に変わります。それをみなさんに約束します」
通常、工場を閉鎖して移転するといった発表のためだけに経営トップが現場まで出ていくことはない。だが、豊田は担当幹部にまかせず、自ら赴いた。
もうひとつある。
2021年、同社の男性社員が自殺したケースが労災認定された。豊田は報道された直後と和解が成立した時の2度、遺族の元を訪れて、直接謝罪している。彼にとっては部下が起こしたパワハラ事件であり、被害者もまた部下だ。やるせない気持ち、くやしさがあっただろう。遺族の元へ行くのはつらかっただろう。しかし、彼は幹部にまかせないで、自ら行動した。
これがトヨタの現地現物だ。現場でラインを見つめてカイゼンすることだけが現地現物ではない。つらいことはトップが引き受ける。率先垂範はトヨタの魂だ。