なるほど立派なオフィスである
マッキンゼー&カンパニーの初出社は1972年の8月21日。月曜日だった。日立を辞めた翌週のことである。週末を挟んで日立の社宅から会社が借り上げてくれた都内市ヶ谷のマンションに、バタバタと引っ越した記憶がある。
「旦那さん、だいぶ出世したんですね」
社宅で荷物を梱包して、新居に運び込んでくれた引っ越し業者からカミさんが言われたという。月額4280円の手狭な社宅から月額16万円のそれなりに近代的なマンションに移り住めば、世間からはそう見えるのだろう。
カミさんは都会暮らしを楽しみにしていたようだが、私は生活環境の変化にはあまり関心がなかった。
それよりも新しい仕事である。世界最古、世界一のコンサルティング会社とは聞かされていたが、どんな会社なのか、何で飯を食っているのか、よくわからないまま初出社を迎えた。
東京丸の内、馬場先門にある富士ビルの10階フロアの半分ぐらいがマッキンゼーの事務所だった。前の職場と何が違うかと言ったらまず受付である。それだけ来客が多い会社ということだろう。日立工場では門番の守衛がいるだけで、受付はなかった。
採用面接は入口近くの応接室で受けたから中の様子はよくわからなかったが、インサイダーになってあらためて足を踏み入れると、なるほど立派なオフィスである。
机は木製、椅子は肘掛付き。隅々までカーペットが敷き詰められて、観葉植物が心地良いアクセントになっている。使い古したスチール製の机や椅子に、リノリウムの床が破れてあちこちむき出しになっていた前の職場とは別天地だ。
所長のジョン・トームはそれまでにクリーブランド事務所とトロント事務所を立ち上げていた。当時のマッキンゼーの最先端の事務所を標準に、彼の趣向でレイアウトしたのだと思う。事務所の開設に当たって、費用をケチるような会社ではない。
弁護士事務所か投資銀行のオフィスという趣で、世界中から誰が訪ねてきてもインテリジェントなホワイトカラーのオフィスだと納得する構えである。しかしアメリカで生活した経験があったので、驚くほどのことはなかった。むしろ日立時代のほうが、見るもの聞くもの、珍しかった。